富良野で農家る! 桃子のローカル日報
長期休載のお詫び
お訪ねくださってありがとうございます。

あいにく当ニュースは休んでおります。
たびたびチェックして下さっている御方もいらっしゃることと存じますが
申し訳ございません。


作業等におきましてはfacebookにて一部の方々にお伝えしております。

機会がありましたら、そちらでお会いできますと幸いです。

上田桃子 Momoko Uyda
posted by momouyda | 22:13 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
土を学ぶ
2月に入り、「第13回 ふらの土の会」が開かれました。

「ふらの土の会」とは、毎年この時期に、東京農大より後藤逸男教授をお招きして、
土壌学の集中講義を受け、会員ひとりひとりの畑の土壌の状態と、適切な肥料の使い方について学ぶ会です。
現在、こうした「土の会」は全国で20支所を数え、会員数600名にのぼります。
秋のはじめに、農大研究員をはじめとしたチームが各畑を回って、試験土壌と畑のデータを集めます。
そのサンプルの分析結果が、グラフと数値、肥料の処方をひとまとめにした資料となって帰ってきます。
その資料を、皆でみながら肥料の選び方や、土に入れる時期、肥料同士の相性、コスト、生育状況など、
実際に肥料を扱っている生産者ひとりひとりの生の話を交えながら、
その畑にとって適切な土壌の作り方を、個別にたくさんの面から検討し合う会です。

畑の通信簿でもある土壌の分析結果は、農村であるなしを問わずありがちな、
恥をきらって隠したくなるような個人データです。
しかし私共も、先輩諸氏も、いく度か参加してしまえば何ということもなく、
いつのまにか出てきたデータに対して冷静になってきています。
そして、適切で成分的にも、労力の面などからも効率の良い計画を実行することにより
生産コストが随分と抑えられることに、まず頑固な親方達が気づき、すでに実行されています。

この会が13回を重ねていると、土壌成分的に、理想値に近い数値ばかりが並ぶようになってきて、
今やなんと、つつき合うのに必要な重箱の隅がなくなってきてしまいました。
そうして今、親方世代が交代してきて、アラフォーの若い親方が熱心に肥料の扱いについて学びつつあるところです。

こうした、有り難い機会をメロンの親方蓮中が育み、ふらのに定着させて下さっています。
そうしたところに新米の私どもが正式に参加して今年で4回目になり、
教授の講義や、先輩の事例を検討する会話にもついて行けるようになりました。

私自身は比較的冬にも時間のあった、最初の2年くらいで土壌学のテキストを読みこんで、
用語辞典を見つつも、あとは会で発行されるテキストに従って流れをつかんでしまったら、
物理化学の知識がなくても、また数学が全く出来ない私であっても、大体のことは理解できるようになってきています。
そして理解が進むたびに、専門家の話を伺うことが、さらに面白くなってきました。

土壌学とはいえ、結局は土壌というだけにあらゆるものの根源的な問題を背負っていて、
社会経済や生活文化、環境問題、それを取り巻く人間の心理まで多様な要素が含まれてくるもので、
論議の種はまったくの無限であるなと思います。
そして深刻すぎる現状のほかにも、知られてはいないけれども実は随分と存在する
希望の種があることも知りました。

今回、最初に行われた講義のなかでは、土の会の全国での活動ぶり、
そして昨年は後藤教授が福島の被災地におもむき、津波による塩害と、放射性物質の除染にかかわり、
毎月現地に足を運んで、ここ数ヶ月のあいだその方法を探ってこられた様子を伺いました。

津波による塩害については、海水中に含まれる成分は、植物にとって有害なものばかりではなく、
めったに供給されないはずの貴重な成分や、状態の良い海底の泥なども運ばれてきているので、
適切な処理を重ねてゆくことにより、すでに緑が戻っている土地も少なくないそうです。
やがて、作物を作付けできる見込みが立ってきている土地も多いとのこと。
雨の多い日本ならではの浄化作用が働いています。

なにより、ところによっては被害にあった畑に手を付けることに対して、行政のブレーキがかかっているけれども、
時が経つにつれて雑草の種は容赦なく発芽して、その子孫を何万倍にも殖やしてしまうものだから、
被災農家の焦りはただ事ではないようです。
嘆きにくれるか、行政の動きを待たずに自己責任で行動するか、判断を迫られているのが実情だそうです。

その土地を守るということの親方が背負っている責任感について、私どもが慮ることはできません。
福島第一原発にほど近いところにある業者の女性社長氏も同席されており、
明るく話をされる教授の姿に、重くて複雑な思いを抱くのでした。

一方で、ふらの土の会でよく使われるようになっている肥料がいくつかあります。
なかでもおもにミネラルを補う肥料については、自然界の鉱石を精錬したあとの残りが、
粉にして肥料とすれば、そのままで多様な成分を含み、作物にとって良い配合でありながら、
まだ利用が進んでいない現状についてのお話がありました。

その鉄の搾りかすのことを、「転炉スラグ」と呼びます。
通常、転炉スラグに含まれているカルシウム分や、リンなどは、単品での鉱石から用いられることが多く、
しかもリン鉱石についてはすべて輸入に頼っています。

それが、国内で作られる製鉄のカスが、輸入量をまかなえるくらいのリンを含む
という試算が成り立つのではないかという予測のもと、研究が進められているそうです。

ほかには、最近韓国で、ハクサイが不作になりキムチが作れず中国から輸入した、という現状にちなんで
現地から講義を頼まれ、後藤教授が韓国に赴いたというご報告がありました。
韓国のハクサイ畑は、まるで美瑛のような丘陵地が全部ハクサイ、というすさまじい光景に
会場が沸きました。
そして、それがさらにげんこつサイズの石がざくざくとしているような土地であることに驚かかされました。
そのような畑に耕作機械の出る幕はないのですが、その砂利が重石になるおかげで、
雨で土が流れてしまう作用が抑えられてもいます。

ほかにも、肥料で起こった事故についての対策や、富良野で開発された肥料の使い方について等が話題に上り
内容の濃い勉強会となりました。
これからの課題は、さらに耕畜連携にスポットをあて、より多くの畜産農家のご参加と協力を願って
現場の声を伺いながら堆肥に含まれる成分を明確にし、肥料成分とだぶってしまう作用を抑えていくことに注目したい、
とのお話で会が締めくくられました。

年に一度、ほかの地域や自身の専門作物の先輩と顔を合わせる意味からも、
「ふらの土の会」は意義のふかい集いであると感じています。
そして、会の進行を勤める吉田博士、福田研究員は、女友達としても付き合ってくださり、
私にとってこころ強く、楽しいものです。

地域の生産者、品目による世界の違い、あるいは業者といったさまざまな社会的な囲いや立場を超えて
意欲のあるお仲間が集い、学び合っているこの機会に参加させていただいていることに、
幹事や関係者の皆様に深くお礼を申し上げます。
posted by momouyda | 23:24 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
豆鉄砲
年頭1日は、いつも地区の新年会があるもので、宴席で頂いてきた日めくりカレンダーが、
気がつけばもう29日になろうとしています。
毎日、寝る前に次の日にしてしまうのだけれども、あまりの減りの早さにめまいがする思いです。

いよいよ来週は、2月です。
やがてきたる春をめがけて、土壌の勉強会や、農法から販売にいたるまでの研究会など
あちらこちらで広くて平たいお話を伺う機会が待っています。
とくにuydaには、そういった予定が連なっています。
なんでも発表の機会まで頂いたそうで、あまりに濃くて詰まり過ぎている思いを、
薄っぺらい会議資料や、スクリーン上にどうまとめて語ったらよいものかと、始終首をかしげています。

地元ではすでに、ミニトマト農家さんは種を蒔いたそうです。
そして大きなメロン農家さんでは、ビニールハウスにビニールをかけ、静かに栽培の準備に入りました。

そんな春は暖かいようでいて、実は私にとってはその気配が厳しく、ちょっと憂鬱でもあります。
あらゆるものが動きだして、風が吹き、雪が水を含んで重くなり、
陽のあたる部分は泥でぐちゃぐちゃし、それがなかなかに厄介です。
ひねくれものの私は、もっと、この静かな冬が欲しいくらいです。
しかしなんと言おうが言うまいが、無情にも時は過ぎるから、
せめて積んだだけの時間に見合った仕事を心がけていたいなと思うのがやっとです。

さて、節分とは春の始まり。
春は風が強くなり、風とともに憂鬱な気分がやってくるので、
それに誘われて心身の病が眼を覚ますような感覚が知られてきたのではないでしょうか。
それを古くから鬼に例えて、用心しようとするのが節分の習わしであるのだと思います。

そこで、鉄砲玉や丸薬ではなくて、丸くてかわいらしい大豆を、
大人も子供も一緒になって鬼に向き合い、大きなかけ声とともに投げ合う習慣というのは、
病の起こりとそのケアを人任せにしないで、家族自らの力を確かめながら向き合って行こう、
というシミュレーションゲームにもなりそうです。
大豆に触れ、大豆に親しむには絶好の機会になるのではないでしょうか。

街中では、ご近所の眼や、スペースの関係で実現しにくそうですが
例えば、公園や公民館、あるいは居酒屋さんなどで、遊びの機会に取り入れられたら面白そうです。
そうなると、投げて面白いのは、あたりの柔らかい落花生よりも、丸くて堅い大豆のほうではないでしょうか。
撒いた豆の回収と掃除の問題が、たちまち取り沙汰されそうですが
その昔、神楽坂の毘沙門様を通りがかったら、
小さな紙袋に入った炒り豆を投げているところに行き会ったことがあります。

そうこうしているうちに、豆を選る作業に終わりが見えてきました。
まだ残ってはいるのですが、早くからのご注文をいただいておりましたので
選ればすぐに捌けてしまって、いったいいつの間になくなったものやら、という感じです。
部屋の中に、選った豆をストックする袋を置いているのですけれども
まさに都合良く「受注生産」の状態で、在庫というものが存在しないまま、
冬が過ぎてしまいました。しずかに忙しく、有り難いことです。

さて、その他に、メロンの首飾りや、スイカのエンブレムを作り足し、
新たなギフト用箱のデザイン、直売分の値札作りなどなど、本格的な農作業が始まるまでに
ストックしておきたい手仕事が、ほかにもまだ山積みです。
雪はあっても、営業を抱えた我が家は既にシーズンははじまっているもので、まことに貧乏に暇はありません。

このような細かすぎる仕事は、遊んでいる、と言われてしまえばそれまで。
しかしそれが私の得意分野であり持ち味であるから、せいぜい出来ることをこなして行くだけです。

支えてくれるお客様と、旦那と犬しかいないけれども、家族の存在を尊く思います。
湿気ってはいるけれども暖かく優しく燃える薪用意してくれ、また面倒な水の凍結管理、
税金などの手続きや各種会合への出席など、
厳しい気候のもと、また生活と仕事のあいだに境界のない農村社会にあっては、
農家には農作業以外の雑事が多くあります。
いわゆる「父さん」の出番がふんだんにあるのです。
「父さん」達の築く文化に、優しいかあさんとかわいらしい子供の居場所がないのは、
サラリーマン生活も、農村も似ています。

たまに、この「父さん」を洒落で豆を使ってやっつけてみる。
節分は、これからもっと楽しい行事になるかもしれいな、とひとり思い描く夜です。

posted by momouyda | 22:30 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
冬空もよう
北海道、ひとつといえども場所によって気候も天気もちがうもので
地形と空気の流れとの関係が、視覚的にも体感的にもリアルに感じられます。
西の方から中国大陸をわたり、日本海の湿気を含んで流れ込んできた空気が、
北海道の東側の山々にブレーキをかけられるので、その夕張山地よりも西側が豪雪地帯となります。
それが、空知地方です。かつて炭坑で栄えた街が連なっています。

ちょうど東北地方でいえば、秋田や山形の位置に似ているので
風の通り道からすると、その空知地方に、雪が多く降るのです。
そして、こちらの雪は湿っているので重たくボリュームがあって、あらゆるものに付きやすい性質をもっており
建物やビニールハウスの骨、はたまた電線など、雪が海老フライの衣のようにまとわりついて
何でもかんでも重たくしてしまいます。

ですから、雪国では屋根の勾配をきつく作って雪を載せないようにしたり、
屋根から雪が落ちてくる危険に気をつけなければならなかったり、
落ちた雪で近隣の家々に迷惑がかからないようにと配慮したり、
そこで生きる為には、じっとそこで警戒しながら身を守るということが、
暮らしのなかでおおきなウェイトを占めてきます。

それにしても、ちらっとTVで見ただけではありますが、このところの雪の多さは桁が違うようです。

さいわい、今日は心地よい晴れでしたので、少し高いところに上がって遠くに眼をやれば、
そちらのほうにあまり雲が無い、ということが瞬時にはっきりとわかります。
わざわざお天気予報の番組が始まるのを待ったり、気象衛星からの画像を検索しなくてもよいのです。
その方面にお住まいの方々は、少しは心が落ち着いていらっしゃるのでは、と思います。
世界では、水害のニュースがたびたび聴かれるようになりましたけれども、
これもまた、ひとつの水害であるなと感じました。

ちなみに、我が家のプリンターの調子が悪くなったので、修理に出したところ
タイの水害で部品が供給できなくなったとのことで、そっくりそのまま別のものと交換されてしまいました。
新品と交換されたのですから、ストレートに喜べばよいのかも解りませんが、
遠い地から、たくさんの人々の恩恵を受けて成り立っている、
私共の暮らしとのつながりを、心の痛みや、もどかしさとともに実感する日々です。

かわって、先ほどの空知地方・夕張山地の東側にあるのが、富良野盆地です。
空知地方で湿気を抜かれた雪が、寒気とともに胡椒を振るようにして落ちてきます。
そして、降ったあと、さらに雪の水分が空中に舞い上がり、微細な氷となって昇華するので
さらにさらさらした雪になります。
握っても固まらない、グラニュー糖か砂のような雪です。
この雪のつもり方は、空知地方のようなボリュームがありません。
そのかわりに、風でよく飛ぶので、晴れていてもところにより吹きだまりが出来てしまいます。
光の加減や、斜めに降る吹雪のいたずらで、この微妙な吹きだまりの凹凸がわからないことがあり、
この微細なモノトーンを感じるのを怠ると、車をこの小さな砂漠に嵌めてしまうことがあります。

まさに、その微妙な質感や、生命を守ろうとする本能のような感覚が、
だいぶ養われてきたように思います。
富良野に来て7回目の冬、暮らしや未来への不安だった要素が、
こういった力強い感覚に入れ替わっていくのが、ひそかに嬉しいものです。

かつて東京で、浅草勤めになったのに、隅田川の川のふちまで歩いて行っても
花火がひとかけらも見えなかった空しさが、思い出されます。
門前払いを喰らったような孤独と、せせこましく高いビルの壁。
夜があけて、道路に残る場所取りのガムテープのラインや名前、ぶっきらぼうにびらびらと熱風にゆれる
その茶褐色の縄張りのあとをみて、つくづく嫌になったものでした。
東京のど真ん中で生まれたはずの私であっても、つまるところ、おのぼりさんなのです。

さて、どうせのぼるのならば、とびきりでっかい山の方が気分が良いものです。
私は今日も十勝岳連邦の山にのぼり、特上の乾いた雪の上を飛ぶように滑り落ちて来ました。
灰にまみれたような記憶が、一気に過去のほうへと飛ばされるとき。
過去の経験や得られたものは、普段はどこかに隠れているけれども、
ひょんなきっかけで、いもづる式に引きずりだされることがあります。

時に、これらの整理は必要なもので、もともとそう容量のない頭と懐に
無理なく納めておけるよう、こうした機会を大切にしなければ、と
ここのところ、より強く思うようになりました。
過剰につもった知識と感情は、精神状態や、体のあちこちを締め付けたり詰まらせたりして、
日常生活のなかで的確な判断をしたり、思考にあっても行動においても、取りうる道筋の数を限ってしまいます。

せっかく、この富良野に住まわせて戴いていますので、
このおおいなる恵みを大切に、そして精一杯味わいたいと考えています。




posted by momouyda | 19:15 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
成人の日
穏やかなる新春、8日の今日を迎えると、少しずつお正月らしさが過去に溶けてゆくようです。
今朝の富良野はとても冷え込んで、昼まで樹々を飾る霧氷が見られるほどでしたが、
ちょっと街に脚を伸ばせば、新しい雪景色にそそぐ日差しに、ちらほら道ゆく着物姿がいっそう映えていました。

家では薪ストーブが暖かく燃えて、少しだけ脂のにおいが香ばしいです。
かわらず、uydaは鉄道の踏切や、トンネル内の雪や氷の手入れに時々呼ばれ、
その仕事の合間は、やたらと外に出たがり、冬の街歩きや、スキーでの山歩きを楽しみました。
人々や、物の喧噪にはすぐに参ってしまうuydaなのに、街歩きは大好きで
その感覚は、私にはよく解っていません。
地図は読めても、雪まみれな九州男児の気持ちがすべて解るはずもなく、
解らないところがまた面白いと感じます。

その合間に、新しい情報を集めたり、新たに私どもの仕事を人々に伝えるにはどうしたらよいか
いろいろと試行錯誤をしています。

大豆を皆様にお届けするのも、次のメロンを売るにあたっての準備でもあり、
またお客様とのコミュニケーションをとる貴重な機会にもさせていただいています。
冬の我が家は、なかなかに活発です。
そして、いくつか、これからの活動のヒントを見つけ出しています。それは楽しい作業です。

そのようななか、大豆のご注文をコンスタントに戴けまして、ありがとうございます。
切れ切れの作業ながら、なんとか豆選りの作業にもしがみついている私です。
HPからのご注文分が、売るという面からすると嬉しいのですが、
地元フラノマルシェに置いている大豆につきましても、なかなかに好評です。
お店の方に伺うと、なんと地元の奥様や、お年寄りの方がご自宅用に買って行かれるとのことで
これまたとても嬉しく存じます。

まさに、私どもの母親や、姑の世代で、しかも地元の方々ときたら、
私どもの作る物にとって、もっとも評価が厳しくハードルが高いのではないか
と思っていたからです。
てっきり、若くて健康志向な、一部のアラフォー向けに発信しようとおもっていたところ
思いもかけぬ経過に、じわっと涙がでそうです。
かけた手間を感じ取ってくださるのは、やはりその昔に、
手間をかけた思い出をお持ちの方々なのかも知れません。

この大豆を売るという仕事は、地道であり、経済効率からするととんでもなく外れた作業ながらも、
これは続けていってもいい仕事なのではないか、という期待を抱くことが出来ています。
その方法は、これからも収量や、メロン・スイカの作業との兼ね合いで変容しつつ、
今あるこの感覚を大事にしてゆきたいです。

さて、このようにしてシーズンオフまでもせわしなく過ごしてしまっている私は、
しょっちゅう喉が乾きます。
そして、喉をうるおそうとお茶を淹れるのですけれども、かなりの頻度で飲み忘れます。
淹れたはずのお茶の葉が開くのを待てずに、ほかの作業にかかってしまい、そのまま忘れてしまうのです。
そしてとっくに冷めたか、いい加減渋すぎて飲めなくなった頃に、はっと思い出し、
掛けた熱と労力の喪失感に苛まれる、という小さな悪循環を重ねてしまっています。

そこで、いつでもすぐ飲めるパウダータイプや、パック詰めのお茶を買う、のではなく、
きちんとそこで立ち止まり、周りを見渡す気持ちのゆとりを持ちたいと考えています。
動きすぎる私にとって、それはとても高いハードルです。
たった1年では改められないかもしれませんけれども、希望をもちつづけることにこだわろうと思います。

新年、ふつつかな私どもにも明けました。
これからも、どうぞおつきあいの程よろしくお願い申し上げます。


posted by momouyda | 22:51 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
雪のひとひらと、豆粒によせて
少し遅めの冬の入りであっても、今となっては雪が豊富になりました。
人力で除けてきた雪が溜まってくると、道幅が狭くなり、見通しが利きません。
そうしたら今度は機械の出番です。

通常、この辺りの家々は、建てる際に家の周りに「雪捨て場」のスペースを確保してあります。
夏には解らないことなのですが、気象が厳しいと、実質的なゆとりが多く必要です。

市街地は、排雪(はいせつ)といって、大きなロータリー車で道路際の雪山を
ロールケーキを切るように削り取って吸い上げ、10tダンプに雪を積み込み、河川敷に運びます。これはお役所の仕事です。

我が家のような田舎では、トラクターにバケットを着けてバックしながら、
スプーンでアイスクリームを削るようにして農道の雪を掬いとって、畑に落とします。

この雪が、畑の土を休めて、余分な肥料分をクレンジングするように洗い流すので、
北海道の作物にとっては、恵みの雪なのです。
この休みと、クレンジングがあるからこそ、この地ではおいしい作物ができるのだと、
土壌学の教授はいつもおっしゃいます。

その雪の中では、よく黒いクモが冬眠しているのを見かけますし
スキーで歩いていると時折、すぽっ、とねずみや山鳩が飛び出してきたりすることもあります。
そして、雪を踏むとほんのかすかに匂う、雪の香り。
道ゆく車の音さえ吸い込んでしまって、真っ白で冷たくて、何もないようでいながらも
雪の下には、無数の生き物が潜んでいます。

さて、この無数の生き物が住む土で栽培した大豆が
おかげさまで、ことしも好評です。
只今、店頭販売ではフラノマルシェARGENT(アルジャン)に置かせていただいています。
豆選りが進み次第、ほかにも置かせていただきますので、お近くの方はお楽しみに。
もちろん、ウエダオーチャードのサイトでも販売いたしておりますので
遠方や、お出かけのしづらいお客様は、お得な通信販売をご利用ください。

昨年、大豆をお求めいただいたお客さまに伺いますと、畑に蒔いてみたとおっしゃる方が
ずいぶんいらっしゃいました。
ところが、枝豆はたべられたのだけれど、熟す前になくなってしまった、と決まっておっしゃるのです。
犯人は、おもにシカやカラスのようですが、何とも残念です。
淡白なはずの豆の味にはとても敏感な、動物の鋭い感覚を実感させられてしまいます。
これは、お客様であっても農家であっても同じなのです。

もちろん、販売しているのはとりわけ元気な豆ですので、種として使っていただくのもとても嬉しく思います。
大豆に親しんで戴くのが、私どもの一番の目的、今度こそは蒔いてみようとお考えの方は、
来春ぜひともお試しいただき、年ごとに殖やしていただくのも面白いです。

ただ、枝豆の場合は、風味がやや淡白に感じられるかもしれません。
通常、枝豆としてスーパーなどに並んでいるのは、黒豆や茶豆などの若い実が多く、
枝豆の姿のときに味が乗っている品種です。

しかしながら、お手元で楽しみに待ちつつ、採れたてをもいですぐに戴く豆は、
きっと格別の風味だったのでしょう。
普通の大豆であっても、皆様なかなかに楽しんでいただけたようです。

場所とお時間がゆるせば、肥料をやっていない土に人差し指の第1関節の深さに2粒ずつ
30センチ間隔で植えてみてください。
私はまだ試していないのですが、プランターであれば、1台に2カ所なら植えられそうです。
ただし地面に植えるよりも、株が小さくなります。

なお、もちろん味噌や煮豆、納豆、豆腐、湯葉など、丁寧に料理してくださったお客様
ありがとうございます。
なんと段ボール箱でも味噌を作ることができると伺い、びっくりしています。
これだけサプリメントや中食や加工食で世の中がにぎわっていても
日本人のならではの細やかさを、きちんと持ち続けていらっしゃる方も少なくありません。
そして、そうしたいけれどもままならない、という志向をお持ちの方がその陰に
どれだけいらっしゃることだろうと感じずにはいられません。
何しろ、作り手の私がその一人でもあるからです。
大豆を通じて、お客様からそういうことをお知らせ戴きました。

最後に、ご質問の多い「炒り豆ごはん」の炊き方です。
煮る時間と手間がなく、大豆の旨味を丸ごと戴けるので、これからもお勧めしていきたいと思います。

“炒り豆ごはん”
お米と豆の比率は、米4合に対して豆1合くらいです。
(米2カップであれば、豆はカップ1/2になります。)
1、大豆をたっぷりの水で2回洗い、水切りする。
2、安手のフライパンを中火〜強火にかざし、油をひかずに豆を入れ、転がしながら煎る。
  焦さないようにしていると、5分くらいで豆の皮にひびが入り、よい香りがしてきます。
  (焦げ付き防止のコーティングが傷みますので、
   お気に入りのフライパンは炒り豆には不向きのようです)
3、あらかじめ、いつものように研ぎ、いつもの水加減をしたお米のなかに炒り豆を注ぐ。
4、炊飯スイッチを入れて炊き上げ、炊きあがったら全体を混ぜて蒸らす。

それでは、沢山のお客様とともに迎えられたこの年の瀬に
心から御礼を申し上げながら、来る年のご健康をお祈りいたします。

posted by momouyda | 20:22 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
師走の古屋
師走の残りがなくなってきて、時の速さは、まるで掃除機に吸い取られるパン屑のようです。

何かに夢中になっている時間があまりにも多いせいか、いくらでも時間が欲しい今、
それは充実しているということの裏返しなのか、はたまたその浪費をわきまえない愚かさなのか、
今の私には解ることではないところが、寂しくて面白いところなのかも知れません。

さて、この年の瀬は、よくシバレました。
私が富良野を1週間ほど離れているときと、帰ってからしばらくが一番寒くて、
いつもならもっと北の、朱鞠内、幌加内、江丹別といった蕎麦どころがもっとも冷えるはずが、
なぜかここのところ、富良野盆地が一番冷え込んでいたようです。

ここ何年かは、マイナス20度を超えることは年に数回で、しかも続いて数時間、と思っていたのに
明け方から朝9過ぎまでずっと外気温がマイナス20度台で、
なにもかにもがキラキラカリカリしているという日がありました。
そんな日はスキーをしていても、なにか雪にスキーがまとわりついてしまってスピードが出ないのです。

たいがい、そうしてきりりとシバレた朝は、日の出とともに寒気がゆるんで、
霜のデコレーションはやがて丸みをおびて優しげな姿になるものと思っていました。

そんな状況で長く家を留守にしていて、おろそかにしていたのが氷結対策です。

私はせっかくのみずみずしい野菜の養生が足りなくて一部をシバらせてしまい、ほとほと残念です。
シバレてもまだ食べられるのですが、ゆっくり凍った氷の組織は大きくて、
細胞壁が壊されて水分が分離することにより、野菜のもつ張りが損なわれてしまうのです。
そしてこれが繰り返されるうち、いつしか野菜は傷んでしまいます。

ですから、昔から農家では雪の前に干した野菜を作ったり、漬け物を仕込んだり、
畑に深い穴を掘って温かな地中に野菜を埋めたり、
たくさん積んでむしろをかけ、さらに雪をかぶせて養生したり、
それはそれは手間をかけて、費用をかけずに冬の間のビタミン源を確保していらっしゃいます。

そしてこの辺りのご家庭には、「むろ」といって、家の中芯あたりもしくは台所の床下に、
こうした野菜などを、凍らさないように貯蔵しておくスペースが設けてあることが多いのです。
我が家は古すぎて、この「むろ」がないので、備蓄をもつことと引き換えに、それ相応の手当が必要なのでした。

来年こそは、この思いを忘れずに、発泡スチロールの大きな箱をいくつも用意するなどして、
大事な食料を守りきる知恵をもちたいと思います。
街からきた北国のおかみさん、物にたいする細やかさと気遣いにかけて、まだまだ半人前です。

それでもタマネギなどは、ときどき糖度の高さからかこのシバレにも耐えてしまうものがあり、びっくりしてしまいます。
冷害のなかの、さらなる例外です。

このようにあまりに気温が低いと、パソコンの動きは悪いわ、版画のインクはちっとも伸びないわ、
風呂場の洗面器が床から離れないわ、といった決して普遍性のない事態が、数多く待っています。

ここで試されるは知恵の力と、対応を待つ忍耐力、出会った状態をそのままに受け入れる柔軟性でしょうか。
そしてそれらは、とかく手間と長い時間をかけることのゆるされない社会の中で
あまり書き言葉になる機会もなく、過去の「異物」としてどこかに追いやられているようです。

そのほんの一部にすぎないけれども、そういった知恵を私が知って出来る範囲で体感し、
いつでも流れている時間のなかで、これからどのように向き合っていくことができるのかどうか、
まさに今、試されているような気がするのです。

まず今のところは、収穫した豆を選ってお客様にお渡しし、きちんと対価を戴いたうえで
手元に残ったわずかな豆を、味噌にして熟させることを夢に見ているところです。

今年の残る日々を大切に過ごしたいと願う、クリスマスイヴになりました。
狭くて静かな我が家は、細かく働きつつ、大きめに考えるのには、たっぷりと満ち足りています。
posted by momouyda | 21:28 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
シバレの夜
外の気温が、もうすぐマイナス22℃になりそうです。
家のなかではストーブを焚くけれども、風もないのに時折ぴしぴしと家が音を立て
冷気が壁を通りこして体温をつかみにくる感じがします。
玄関の戸はびっしりとついた霜でキラキラときらめき、それは見る度に生長するものだから、
ペイズリーのようなレース模様を繰り広げながら、次第にぎらぎらとした光り方になっていきます。
地が黒っぽいだけに「蠍座の女」を歌う、美川憲一のドレスのよう。

あまりに寒いと、ダイヤモンドダストで満たされてしまう外気は
もうすぐ満月になる淡い月光を溶かし込んで、まるでコンクリートのような濃さで
厳然とそこに立っています。
敷居に溜まった水分がどう変形したのか、玄関のドアは、鍵をかけないとするすると開いてしまいます。
何もかもが、カリカリに凍りついて縮みあがり、互いに退け合っている夜です。

それなのに、流石は我が家のどさんこ犬。
昼間はソファーでとろけるようにして眠っていたのに、この夕方になって急にそわそわと外に行きたがり、
晩の食事には、ひげも眉毛も凍り付かせたまま登場したかと思うと、
腹ごしらえが済んで、人間どもの晩のおかずの味見をすませると、また外に出てゆきました。
普段、甘えたい放題に甘えているようでも、本能はやはり、寒さに何かを求めているようです。
そういえば、最近急に毛が抜けたかと思うと、一気に体毛が濃くなりました。
もうすぐ、手脚の先の毛も伸びてくることでしょう。

このアイヌ犬の脚の先の毛、いわゆる肉球の部分を、冬場は覆うようにして伸びてきます。
手脚の指の間から、はみ出すようにして伸びてくる毛が、靴下の代わりです。
そして、そこには特有の脂がたまるらしく、ほのかに赤いです。
肉球そのものも、猫のように、触って心地よいような柔らかくすべすべしたものではなくてはなくて
鮫肌のように、体毛以上ウロコ未満といった感じのごく細かい突起物で覆われています。
たかが犬とはいえど、付き合う程に不思議です。

きっと、どさんこ犬にしてみたら、この寒さにあたることでライフサイクルのどこかにスイッチが入るのでしょう。
その答えは解るかもしれず、解らないかも知れません。

さて、家の中は豆選り、そして年始の挨拶状の支度と、我が家の年中行事にまつわり
この時期はさながら受験勉強のようにして机にかじりついています。
格調たかきデスクは、専らuydaのパソコンと仕事机ですので、
私のほうは、古式ゆかしき丸いちゃぶ台および四角い小机をあっちへやったり、こっちへきたり、
隙間から忍び寄る寒さと余計な光線を避けて移動しながら、一日があっという間に飛んでゆく日々を過ごしております。
それもそのはず。冬至前だけに、3時をすぎれば夕暮れ、4時過ぎは既に暗いのです。

作業は思うようにははかどっておらす、やきもきされていらっしゃるお客様の心を察するに
申し訳が立ちません。

しかし、秋休みが終わって雪が降り、銀世界とともに我が家だけの新年はスタートを切りました。
これから春にむかう充電の手始めに、私は明日から1週間ほど、
ちょっとした営業と勉強に出かけます。

おそらく、このシバレの明けた翌朝は、木々は霧氷をまとい、あらゆるものに霜のデコレーションがかかり、
朝陽があたれば、金の紙吹雪のようなダイヤモンドダストで満たされるのです。
”紅白歌合戦で「望郷じょんから節」を金の紙吹雪のなかで歌い上げる細川たかしのシーン”に、
戸外にさえ出れば、誰もそれをが垣間みることが出来ます。
この富良野盆地という世界が「玻璃」に満たされて輝くのです。

この地でカメラの好きな方々は、プロフェッショナルもアマチュアも、
とりわけ期待に心を踊らせながら寝床に着いていることでしょう。
我が犬も、軒下で丸く小さく体をちぢめ、尻尾の先で黒い鼻を覆い隠して寒さを味わっています。
そして私もまた、明日の朝、冷え込んだ世界に出かけていこうと思います。
帰る頃には、お待たせしている大豆のご注文を開始し、順次発送いたします。

きつい低温下でしか出会えないきらめきが、多くの方々の心を暖め、
この上ないすがすがしい気分をつれてやってくるのを楽しみに、床に付く夜です。
posted by momouyda | 23:22 | - | comments(2) | trackbacks(0) |
大豆にひたる
嵐の予報があり、いよいよ大雪かと思えば、冷たいみぞれが降っています。
まるで家ごと風と氷水に冷やされているかのよう。
どさんこ犬は、そんな陽気が寂しすぎて、眉毛を八の字にしたまままどろんでいます。

さて、豆選りのほう、徐々にすすめております。
来年の種にする豆をより終わりましたので、いよいよ大切なお客様にむけての仕事となってきました。

実は昨年の豆、内容についてたいへんにご好評を頂きまして、
たいへんに嬉しく、挑戦してよかったと心から感じることができましたので
ご注文いただきましたお客様には、心からありがたく存じております。

ただ、包装につきまして少々悩むところがあり、ここのところuydaと検討をかさねていました。
今年は袋の素材を変えて、厚いものにしようと考えております。

昨年は豆の美しさを見ていただきたくて、透明度の高い袋を選んでいたのですが
袋の脇の部分についてシーム接着がはがれてしまうというトラブルがあり、
数件のご指摘を頂いております。
ご指摘いただいた方以外のところでも、同様のトラブルがあったかもしれません。

透明度が高いということは、使われている樹脂の量も少ないのというところも魅力ではあったのですが
やはり、肝心の中身を、最低限守れないようではよろしくありません。
ですので、今年は脇に接ぎ目がなく、丈夫な袋を選んでみました。
包装材の揃ったお店に何度か通って、4つの目玉と20本の指で感触を探り、
けんけんごうごうとした数回にわたる夫婦喧嘩の末にあみだした結論です。

なお、その袋の口を閉じるにあたっては、簡単なシーラーという機械を買い
熱圧着することにしました。
とくに真空包装にするとか、酸素を断つ包装にする機能を持たせるつもりはありませんので
セロハンテープを貼るなど、電源のいらない方法で閉じたいとも思っていましたが、
これはuydaのつよい希望です。
形に託されたプロ意識なのでしょうか。

これはスマートさと、おもにメール便での輸送であることから、なるべく袋の口を折り返さずに、
できるかぎり荷姿を平たくするのに役立ちそうです。
でも少し視点を変えてみれば、たかが1片の粘着テープといえども、
生産から我が家に届くまでの過程で
多くのエネルギーを必要としていることに変わりはありません。

おおざっぱな田舎のメロン屋である私に、それらについて細かいことは何もわからないけれども、
リスクと効率のつぼが、手元にあるか、遠くにあるかの違いに過ぎないのかもしれないのです。

というわけで、今年の豆はやや厚着でお届けします。
つきましては豆の様子や、感触が、昨年に比べてやや鈍くなりますが
やはり新豆は新しいほど美味です。また、体にもよりよく働きかけてくれるようですので
どうか、お手元に着き次第、お早めに召し上がっていただけますと幸いです。

近日中に詳しいご案内をしますので、楽しみにしていらっしゃるお客様には申し訳ございませんが
今しばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます。

なお、あまり豆選りばかりしていると目や腕などにすぐにダメージがきてしまいますので
自分自身のメンテナンスも大事です。
最近、その道のプロに何人も巡り会うことができましたので
マッサージしたり伸ばしたり、おろそかにしがちだったことを重ねるたびに調子があがってきました。

お客様も、プライベートな友人にも、そのどちらでもある方々にも感謝を込めながら、
揺すればさざ波の音がし、注げば喝采の音がする、大豆の不思議に浸る毎日です。


posted by momouyda | 21:20 | 農作業 | comments(2) | trackbacks(0) |
家の中で
雪の季節になりました。
ということは、移住して7回目の冬になるのかと、今驚きました。
つい1週間前程に、私はひとつ歳を重ねたところなのですが、以前はその頃もう山でスキーを履いていたのですから
冬の始まりが、こんなにも遅くなってきているのかと、あらためて思いました。

その雪と笹と風の茫漠とした風景のなか、はたしてここで生き続けられるのか、はたまた一人暮らしの長かった身勝手な自分自身が、
そもそも夫婦生活に適応出来るものなのだろうかと、まったくの見通し不明な状態だったことを思い出すと、
若さゆえの自由が、痛かったなと感じます。

それを10年またずに過去のものと感じられるのは、時代があまりに大きく変わってしまったからでしょうか。
いま不確定なのは、自分の問題だけではなくなり、社会全体の雰囲気でもあると、
この私ともあろうものが、文字にして書けてしまうのです。

そうはいっても、雪の中でこぢんまりした家にぼおっと明かりを灯して、じっと豆を選る作業をするほかに
今の私にできる仕事はないもので、なかなか進みはしないけれども、ただそれをこなしています。

今年の大豆は、最初に播いたときの発芽が悪く、発芽を見届けてからもう一度苗をつくり、
1本ずつ手植えしたものです。
普通、豆は豆を畑に蒔くのですが、あいにく季節は待ってくれないもので
育苗ハウスで「豆もやし」以上「豆苗」未満の姿に急速発進させて植えました。

通常の生長過程よりも3週間くらい遅れて育った分、葉っぱが枯れるまでに時間がかかり
刈り取るのが遅くなってしまいました。
豆の寿命は自然に決まっているので、最後まで畑で過ごし、枯れるのです。
野菜類は、寿命を畑で迎えるものは少ないのですが、穀物は枯れるまで青空の下にいます。

その、枯れた豆を刈り取って、豆の莢から豆を取り出すのが「脱穀」です。
豆の鞘は、乾燥が進むと、合わせ目から自然に反り返って豆をはじき出してしまいます。
秋の晴れた草むらを通ると、草の種がパチパチとはじけて飛ぶ音が聞こえますが、
豆の場合も同じように、自分で自分の種を播こうとします。
しかひそこまで乾かしてしまうと、刈り取りのときに豆もみんな弾き飛んでしまうので
刈り取ってから、干す作業をします。
それからがほんとうの脱穀作業で、唐竿(からさお)という道具を使い、人力でパタパタとたたき落したり、
機械で枝や鞘を細かく叩いて取り出したりするのです。

今年は、豆を植えた面積が増えたので、さすがに人力では追いつかなくなり
我が家はエンジン付きの脱穀機を使いました。
それはひょんなきっかけでuydaが競り落としてきたものです。

運転はなかなかにうるさかったけれども、やはり、その速さには圧倒されてしまいます。
昨年に比べて3週間分の遅れを、1日で取り戻してしまいました。
雪の中の湿気った、寒い作業だけに、これがスピーディーになるという事は、心から有り難いことでした。

しかし、人力の脱穀と違ってエンジンの出力は一定ですから、豆がどのような状態であろうと力強く砕きつづけます。
したがって、枝や鞘の粉が細かく散ってしまい、豆の表面にうっすらとかかる油分に誘われ
て表面に張り付くもので、
わずかに埃っぽい仕上がりになりました。
これは洗えばすぐに取れるものですが、やはり、細やかなゆっくりとした手作業とは差がでてきてしまう部分です。

また春の教訓から、種豆は多く残しておいたほうがよいことが解ったので
いま、まず種にする豆から選り出しています。
そのあと、皆様にお分けするためのまさに「粒選り」をして行きますので、
どうぞお楽しみになさって下さい。

一度に取れる豆は、私共の技術が熟していないもので、びっくりするような大粒から
超小粒までが混在しています。
目立って大きな粒だけを寄り出すのはスピーディーで簡単ですが、どうも大きい粒だけでは間抜けなのです。
標準から、それよりやや大きいくらいの形の良い豆を取り出して、
同じく主役に据えると、ようやく落ち着きがでました。
ベアリングのような工業製品ではないので、やはり、適度な揺らぎが大事なようです。

こうして、飛ぶように毎日が過ぎて行きます。
雪は乏しくとも、家や家族や仕事に囲まれていると、時間はいくらでも満ちて来てくれるのが嬉しいです。



posted by momouyda | 21:56 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
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