富良野で農家る! 桃子のローカル日報
大豆にひたる
嵐の予報があり、いよいよ大雪かと思えば、冷たいみぞれが降っています。
まるで家ごと風と氷水に冷やされているかのよう。
どさんこ犬は、そんな陽気が寂しすぎて、眉毛を八の字にしたまままどろんでいます。

さて、豆選りのほう、徐々にすすめております。
来年の種にする豆をより終わりましたので、いよいよ大切なお客様にむけての仕事となってきました。

実は昨年の豆、内容についてたいへんにご好評を頂きまして、
たいへんに嬉しく、挑戦してよかったと心から感じることができましたので
ご注文いただきましたお客様には、心からありがたく存じております。

ただ、包装につきまして少々悩むところがあり、ここのところuydaと検討をかさねていました。
今年は袋の素材を変えて、厚いものにしようと考えております。

昨年は豆の美しさを見ていただきたくて、透明度の高い袋を選んでいたのですが
袋の脇の部分についてシーム接着がはがれてしまうというトラブルがあり、
数件のご指摘を頂いております。
ご指摘いただいた方以外のところでも、同様のトラブルがあったかもしれません。

透明度が高いということは、使われている樹脂の量も少ないのというところも魅力ではあったのですが
やはり、肝心の中身を、最低限守れないようではよろしくありません。
ですので、今年は脇に接ぎ目がなく、丈夫な袋を選んでみました。
包装材の揃ったお店に何度か通って、4つの目玉と20本の指で感触を探り、
けんけんごうごうとした数回にわたる夫婦喧嘩の末にあみだした結論です。

なお、その袋の口を閉じるにあたっては、簡単なシーラーという機械を買い
熱圧着することにしました。
とくに真空包装にするとか、酸素を断つ包装にする機能を持たせるつもりはありませんので
セロハンテープを貼るなど、電源のいらない方法で閉じたいとも思っていましたが、
これはuydaのつよい希望です。
形に託されたプロ意識なのでしょうか。

これはスマートさと、おもにメール便での輸送であることから、なるべく袋の口を折り返さずに、
できるかぎり荷姿を平たくするのに役立ちそうです。
でも少し視点を変えてみれば、たかが1片の粘着テープといえども、
生産から我が家に届くまでの過程で
多くのエネルギーを必要としていることに変わりはありません。

おおざっぱな田舎のメロン屋である私に、それらについて細かいことは何もわからないけれども、
リスクと効率のつぼが、手元にあるか、遠くにあるかの違いに過ぎないのかもしれないのです。

というわけで、今年の豆はやや厚着でお届けします。
つきましては豆の様子や、感触が、昨年に比べてやや鈍くなりますが
やはり新豆は新しいほど美味です。また、体にもよりよく働きかけてくれるようですので
どうか、お手元に着き次第、お早めに召し上がっていただけますと幸いです。

近日中に詳しいご案内をしますので、楽しみにしていらっしゃるお客様には申し訳ございませんが
今しばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます。

なお、あまり豆選りばかりしていると目や腕などにすぐにダメージがきてしまいますので
自分自身のメンテナンスも大事です。
最近、その道のプロに何人も巡り会うことができましたので
マッサージしたり伸ばしたり、おろそかにしがちだったことを重ねるたびに調子があがってきました。

お客様も、プライベートな友人にも、そのどちらでもある方々にも感謝を込めながら、
揺すればさざ波の音がし、注げば喝采の音がする、大豆の不思議に浸る毎日です。


posted by momouyda | 21:20 | 農作業 | comments(2) | trackbacks(0) |
家の中で
雪の季節になりました。
ということは、移住して7回目の冬になるのかと、今驚きました。
つい1週間前程に、私はひとつ歳を重ねたところなのですが、以前はその頃もう山でスキーを履いていたのですから
冬の始まりが、こんなにも遅くなってきているのかと、あらためて思いました。

その雪と笹と風の茫漠とした風景のなか、はたしてここで生き続けられるのか、はたまた一人暮らしの長かった身勝手な自分自身が、
そもそも夫婦生活に適応出来るものなのだろうかと、まったくの見通し不明な状態だったことを思い出すと、
若さゆえの自由が、痛かったなと感じます。

それを10年またずに過去のものと感じられるのは、時代があまりに大きく変わってしまったからでしょうか。
いま不確定なのは、自分の問題だけではなくなり、社会全体の雰囲気でもあると、
この私ともあろうものが、文字にして書けてしまうのです。

そうはいっても、雪の中でこぢんまりした家にぼおっと明かりを灯して、じっと豆を選る作業をするほかに
今の私にできる仕事はないもので、なかなか進みはしないけれども、ただそれをこなしています。

今年の大豆は、最初に播いたときの発芽が悪く、発芽を見届けてからもう一度苗をつくり、
1本ずつ手植えしたものです。
普通、豆は豆を畑に蒔くのですが、あいにく季節は待ってくれないもので
育苗ハウスで「豆もやし」以上「豆苗」未満の姿に急速発進させて植えました。

通常の生長過程よりも3週間くらい遅れて育った分、葉っぱが枯れるまでに時間がかかり
刈り取るのが遅くなってしまいました。
豆の寿命は自然に決まっているので、最後まで畑で過ごし、枯れるのです。
野菜類は、寿命を畑で迎えるものは少ないのですが、穀物は枯れるまで青空の下にいます。

その、枯れた豆を刈り取って、豆の莢から豆を取り出すのが「脱穀」です。
豆の鞘は、乾燥が進むと、合わせ目から自然に反り返って豆をはじき出してしまいます。
秋の晴れた草むらを通ると、草の種がパチパチとはじけて飛ぶ音が聞こえますが、
豆の場合も同じように、自分で自分の種を播こうとします。
しかひそこまで乾かしてしまうと、刈り取りのときに豆もみんな弾き飛んでしまうので
刈り取ってから、干す作業をします。
それからがほんとうの脱穀作業で、唐竿(からさお)という道具を使い、人力でパタパタとたたき落したり、
機械で枝や鞘を細かく叩いて取り出したりするのです。

今年は、豆を植えた面積が増えたので、さすがに人力では追いつかなくなり
我が家はエンジン付きの脱穀機を使いました。
それはひょんなきっかけでuydaが競り落としてきたものです。

運転はなかなかにうるさかったけれども、やはり、その速さには圧倒されてしまいます。
昨年に比べて3週間分の遅れを、1日で取り戻してしまいました。
雪の中の湿気った、寒い作業だけに、これがスピーディーになるという事は、心から有り難いことでした。

しかし、人力の脱穀と違ってエンジンの出力は一定ですから、豆がどのような状態であろうと力強く砕きつづけます。
したがって、枝や鞘の粉が細かく散ってしまい、豆の表面にうっすらとかかる油分に誘われ
て表面に張り付くもので、
わずかに埃っぽい仕上がりになりました。
これは洗えばすぐに取れるものですが、やはり、細やかなゆっくりとした手作業とは差がでてきてしまう部分です。

また春の教訓から、種豆は多く残しておいたほうがよいことが解ったので
いま、まず種にする豆から選り出しています。
そのあと、皆様にお分けするためのまさに「粒選り」をして行きますので、
どうぞお楽しみになさって下さい。

一度に取れる豆は、私共の技術が熟していないもので、びっくりするような大粒から
超小粒までが混在しています。
目立って大きな粒だけを寄り出すのはスピーディーで簡単ですが、どうも大きい粒だけでは間抜けなのです。
標準から、それよりやや大きいくらいの形の良い豆を取り出して、
同じく主役に据えると、ようやく落ち着きがでました。
ベアリングのような工業製品ではないので、やはり、適度な揺らぎが大事なようです。

こうして、飛ぶように毎日が過ぎて行きます。
雪は乏しくとも、家や家族や仕事に囲まれていると、時間はいくらでも満ちて来てくれるのが嬉しいです。



posted by momouyda | 21:56 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
晴れ間を惜しんで
小春日和も、もう今年は最後かもしれないというところにきて、急にスイカのハウスを建て替える事になりました。
今のハウスをいったん抜いて、ほかにストックしてある鉄パイプを全部寄り合わせて
ハウス全体の長さを倍にします。
パイプはいろいろなところから寄せ集めてきたものなので、長さも、曲がり具合も、似ているようでいながらまちまちです。
それらを切ったり、曲げ方を直したりして、どうにか使ってみようというもので
昨日から私は鍛冶屋さんに、uydaは土木工事に勤しんでいます。

百姓、すなわち百の仕事をこなす人々。すなわちマルチタレントそのままです。
サラリーマンの娘である私は、小さい頃、父が運転する車に乗っていると
出会い頭に路地から急に出てきた車に向かい、父は決まって「百姓!」と罵っていたものです。
ところがなんと数十年後は、その娘がかろうじて百姓にさせて頂いている次第です。
娘本人にとっては予想外の展開でしたが、当の父は、まんざらでもない様子です。

余談はさておき、じつはこの秋は、メロンのハウスをあと2棟建てるつもりでいたのですが
見積もりを取ってみて飛び上がり、諦めました。
震災の影響で、鉄パイプの値段が高騰しています。
3年ほど前、北京五輪のときもぐんと高くなりましたが、今回の値上がり具合はその比でなく
じつに5年前の値段のほぼ倍です。
あわせて、ビニールの値段も年々上がっていますので、
ビニールハウスでつくられる野菜のバリエーションが、もしかすると今後少なくなっていくのかも知れません。
被災地から遠いようでいて、同じ国の住人ですから、誰もが震災の当事者であると私は思っています。

まさに、生き残るのにはどう働いて行ったらよいのかが、問われているようです。
求めてみたい答えはあれこれと浮かぶものの、辿れる道はひとつですので
時間をかけて、じっくりと進んでゆきます。

さて、秋晴れがあまりにも気持ちよくて、杭を埋める穴を掘っていても
スコップを持つ手に力がはいりません。
だらだらと夕暮れのなか杭を埋めていると、夕映えに雪虫がたくさん舞っていました。
どさんこ犬が、散歩を待ちきれないよ、と迎えにくるので、
連れ立って山の方に歩いてゆくと、暮れ方の逆光に紅葉が透けて、いちばん深い秋の色を見せてくれました。
犬も、金色の輪郭だけになっています。
谷のほうから「きゃーーーーん」と響く鹿の声がして、どうにもこうにもいまが秋です。

帰り道はあっという間に暗くなり、トラクターのヘッドライトが、富良野盆地の隅から隅まで、点々と輝いています。
どれも街の明かりより、一番星よりずっと明るくて、力強いです。
かつて中島みゆきが謳っていた「地上の星」とは、これのことだったのかも知れません。
残念ながら、我が家のトラクターは小さ過ぎて、この中には混じっていませんが
いつか、この宵の光景を美しい写真に納めてくれる方が、きっといらっしゃると思います。

加えて、10月中旬のこの時期から11月中旬にかけての秋の景色も、私は大好きなのです。
美瑛に長くお住まいの先輩も、この時期の景色がいちばん好きだとおっしゃいます。
天気が安定しにくいのと、寒さ暖かさの落差があるのとで、運に左右されやすいのですが
道は空いているし、道路凍結の心配もさほどなく、北海道の良さをじっくり楽しむ旅行には
とても良い時期ではないでしょうか。
何かを鑑賞したり、学んだり、じっくりと風景をみながら心の行き届いた食事を楽しんだり、
街独特の詰め込まれた時間の密度をはなれて、何時間も、あるいは何日も思い切った長居をするのに、
富良野の景色はきっと似つかわしいのではないかと感じます。

この静かさと時間のまとまりの意味を良く知っている方々が、富良野には沢山おられます。
地元の農家の奥様や、おばあちゃんに、手仕事の得意な方がたくさんおられますし
若くても細かな手仕事の得意な友人がいて、先日はその工房と、アロママッサージのサロンを開設した
ささやかなお祝いをしてきました。

このような技とセンスを持った若い人々が、農業ヘルパーから移住者のなかに沢山おられます。
それは夏に行われる、クリエイターズマーケットの賑わいに象徴されますけれども
当然ながら、農業や、アウトドア産業に関係する方々は、参加することも観に行く事もままなりません。
もっと、こういった方々が大切にされ、活動しやすくなることを願っております。

さて、こうして秋は更けてきました。
明日、ハウスの立て替え作業に区切りがついたら、一気に豆刈りです。
木枯らしで豆の木は随分と乾きましたので、今年は脱穀が随分と楽になりそうです。
そして雪が降ると、それはそれで薪を運んだり、ストーブの世話をしたり、
まとまった雪が降れば除雪したり、大きな機械や設備のない我が家は、生活そのものが忙しくなります。
冬が来る、そう思うとどこか気が引き締まる心地です。

貧乏暇無し。しかし楽しく美しいのが、田舎の醍醐味です。
posted by momouyda | 20:28 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
鳩ぽっぽ
もともと富良野に梅雨はないけれども、最近はもうはや梅雨明けのように30℃近くになったり
にわかに曇って雷がひびいてきたりと、芝居のような天気の変りようです。
内陸部だけに、やっぱり天候は荒々しさに満ちていることが多いです。

ハウスの中でメロンの手入れに取り組んでいるとき、いったん晴れれば汗でサングラスが滲んでしまい、
拭えば曇るし、かといって外すには眩しくて、ポケットには小さなタオルが欠かせません。
それもすぐくしゃくしゃとして何となく塩気を含んでしまうので、半日経ったら取り替えることもあります。
こうして水分ミネラル分を消費するものだから、寝る前に温かいお茶をポットに一杯飲んでいないと、
喉が渇いて目が覚めるのです。
寝る前にお茶をゆっくり飲むことも寝ることも、だいじな明日への備えです。

さて、昨日のこと。ぐんぐんと丸みを帯びていくメロンは、そのまま放っておくと
ちょっときつめの勾配をつけてあるベッドから、転がり落ちてしまいます。
なので、メロンには枕が必要なもので、私はその枕となる籠のようなお皿を敷いていました。
すると、にわかにラジオから流れて来たのが、「鳩」のうたです。
ぽっぽっぽー、というあどけない少女が謳うそのメロディは、

いつものようにたまらなく退屈で、なぜこうも歌い継がれているのかがよくわからないな、という心持ちでいました。
暇を持て余したじいさんが、ふらりと神社の境内か大きな公園で、
一袋50円のパンのみみでも片手に、ばたつく鳩の群れのなかでぼそぼそと呟いている、というような。
ところが、2番を聴き終わったあたりで、何かがむずむずします。

ぽっぽっぽ はとぽっぽ
豆はうまいか 食べたなら
みんなそろってとんでいけ

これはもしや、なんと、これは本来、農村で謳われていたものではなかったかと
はたと気が付いたのでした。
しかも、豆の種を畑に植え付けているときの光景であるとすれば、
この歌の意味ががらっと変わってきます。

昔なら、はたけで二つ折りになるようにして、脚の幅ごとに豆を2粒か3粒、
手で土に植えていたのでしょう。
そして、ふ、と振り返ってみれば、なんと今播いたばかりの豆を鳩がほじくって食べているという、
そんなときの歌ではなかったのかとひらめきました。

意地の悪い鳩たちに向かい、いま手元の豆をあげるから、
もう畑の豆をほじるのはやめて、差し出した豆を食べて満足したら、どこか他所へ行ってちょうだい。

と、自然の為すどうにもならない現象を、鳩へのいたわりによってどうにかしたい、
という先人の願いが込められていたのです。
その奥にある、嘆きと諦めの蓄積に、圧倒されてしまいました。

まるで万葉集のような世界を感じ、街育ちの浅はかさを恥ずかしく思ったのでした。

そうしている間にも、蔓は伸び、メロンは肥っていくので、ごくごく細かい仕事は続きます。
まだまだ順調です。
ハウスで蒸し焼きになった体を、摘果メロンのお味噌汁が、体の中から優しく癒してくれました。
だし汁で柔らかく煮た8つ割の摘果メロンに、絹ごし豆腐の滑らかさがよく合います。
あればとろろ昆布をひとつまみと、子ねぎをほんの少し浮かせれば、初夏の雰囲気一杯です。
湘南界隈では冬瓜を良く食べたものですが、げんこつくらいの摘果メロンは、その代役も果たしてくれました。

荒々しさと優しさが何重にも絡まって渦巻いている、富良野盆地です。
posted by momouyda | 23:17 | 農作業 | comments(2) | trackbacks(0) |
沈黙の中で
しばらく晴れが続いて、雪の下からいろいろな草の芽が出ました。
おとといその湿気った黒い土に、ぽこぽこと浮き出したフキノトウを4つだけ拝借してポケットにいれ、
素揚げでいただいたところが、うってかわって昨日も今日も濃い吹雪です。

しかし苗床のなかは、もうはや初夏を保っていて、苗たちが元気に育ちつづけています。
最初の苗はあと4日ほどしたら、最初のメロンが栽培ハウスに巣立っていきます。

あとにつづく苗も、予定のとおりぞくぞく育っています。
苗づくりは、メロンの善し悪しにかかわる大事な要素といわれていて、
とくに接木がその中でも、私共にも苗にとっても大きな課題です。
メロンの苗は接木(つぎき)といって、根っこ担当のメロンと、実をならせるメロンとを、
地面に近いところで肩車するようにつなぎ合わせて苗にします。

根っこを他のメロンに代わってもらうのは伝染病を防ぐためで、
これは3〜4年ごとに品種を変えるのです。
接木は、最初に2つの苗を肩車させるときと、それが着いたあとに実をならせるメロンの根っこを断つときの2回、
あわれまだ幼いうちに外科手術に遭ってしまう宿命です。

その方法は、その農家さんによって何通りかありますので、このかぎりではありませんが
我が家の最初の苗たちは2度目の手術を終えて、2枚目の葉っぱを南に向かって大きく広げようと
根っこの方からぐいぐいと力を込めて来ています。
乗っかってしまったメロンの葉っぱを広げるには、それを支える足腰が頑丈にならないと
地際から折れてしまいますから、このころ最初の茎がぐんと太くなるのです。

接木の済んだ苗は、運動会でラジオ体操をするときのように、
葉っぱが存分に広げられるように、みな同じ方向に向けてきっちりと整列しておきます。

メロンはつる性の植物とはいえ、芽がでたり伸びていこうとする方向にはきちんと法則があるもので、
ひとつひとつの苗をみれば皆違うのに、条件が整ってしまえば、
その指向は人間が描く設計図よりも正確です。
私は数学が大の苦手なので出来ませんが、そのセンスがある方ならば、
これもかんたんな数式で表現してしまわれるのではないかと思います。

そうして3枚目の葉っぱが少しでて来た頃に、栽培ハウスに植え付けます。

明日からの晴れで、栽培ハウスの地面がさらに暖められるのではと期待しています。
そのほかのハウスも、次々に屋根がかかったり、その内装をしたりしています。

その一方で、出来上がったメロンをどのように世に送り出すかということも
少しずつ、あたらしい展開にも向かっていっています。
今年は一部ネットショップから飛び出して、もっと、お客様に近づけるようにと考えています。

メロンにかけるリボンも、3千本ほど用意できました。
よいメロンからそのリボンをつけていきますので、これを一体どれくらい使えるかが試されています。

有り難い事に、もうさっそくご注文も頂くようになりました。
本格的なご注文の受付は、夏になってからいたしますので
引き続き、どうぞ様子を伺ってやって頂きたく存じます。

ふつつかながら、お客様の思いを私共のメロンがしっかりと担い、
生き物のもつ力をよりたくさんの方々に感じていただけるような姿で世に送りだすことが出来るように、
静かにじっくりと仕事をしてゆきたいと考えています。

posted by momouyda | 08:08 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
手のひらの上の命
富良野盆地は、今日も晴れたり雪が降ったりしていました。

この重たい日々のなか、静かに我が畑はちいさな緑の命にはたらきかけて
少しずつ、その目を覚ましていっています。
ただいま育苗ハウスでは、最初の2棟分のメロンの苗が接木を終えて
台木と穂木の癒着を待っているところです。
苗はずらりと約340株あり、いまのところ失敗なしの模様です。
そして3棟目のメロンの種が、重たい芽を地中から出そうと踏ん張っているところです。

あたりがまだ雪に覆われている分、ハウスのなかに注ぐ光の量は半端ではなく
まるでオーブンのなかにでもいるような心地です。まるで皮膚全体からまぶしさを感じるよう。
それほど光の好きなメロンは、太陽に向かって伸びをするように、さも気持ち良さそうに
双葉をかかげています。
一日ごとに、茎ががっしり太くなり、葉が厚く大きくなっていくのが解ります。

日中は、少しの陽射しでもハウスの気温は極端に変化するので、
気温が30℃を越えないように、また地温との温度差を広げすぎないようにと
いつもいつも雲行きと温度計を気にかけています。
変化があるたび、ハウスの換気口を巻き上げたり、下げたり、日除けしたり、ずらしたり。
uydaはそれはそれは細やかに、苗を守りつづけています。
大雑把でいつも落ち着きのない私には、まず勤まらないところです。

さて、それでもさすがに規模の小さい我が家では、まだ仕事に追いつめられるほどでもなく
少し空いたタイミングを見つけて、家庭菜園の準備をはじめました。
お気に入りの種屋さんから種を取り寄せたものもありますが、自家採取できたものも少しずつ増えています。
いまごろになってしまいましたが、ようやくバジルの種を、枯れた穂から取り出しました。
これは5代目です。年々丈夫になっていますので、今年もどう変化するのかが楽しみです。

そして、誰もがびっくりするのがズッキーニ。実は私共が食べているズッキーニは、
きゅうりのように未熟な状態なのであって、完熟したズッキーニの姿を知る人はそういないのではないでしょうか。

育ててみてびっくりしたのですが、完熟したズッキーニというものは、かるく40センチを越える巨体です。
ヘチマものけぞりそうなそのボリューム感にふさわしく、手にするとずっしり重くて、
まるでぴかぴかモリモリなレスラーの腕でも抱えているかのよう。
秋のあいだ、それをしばらく我が家の玄関に転がしておいたのですが、
皆その姿に興味を示して下さるものの、正体を当てられた方はひとりもいませんでした。
わずかに、ヘタが星形をしているところがズッキーニのイメージをとどめているほかは
表面は堅いけれどアニメに出てくるタヌキの尻尾そっくりな形をした何か、というような風体です。

いよいよ、昨日それにメスをいれました。いや正確にはカッターナイフです。
じつは、最近そのタヌキの尻尾は、叩くとポクポクいう事に気付いたので、
いつのまにか僅かにできてしまった傷口から腐って、中身が流れたか、ネズミや虫に食われたのではないかと
ちょっとおっかなびっくりで、種が穫れるかどうかは半信半疑のまま堅い皮を剥いてみました。

すると、皮の下はなんと、明るいオレンジがかった金色の繊維質でした。
スプーンでえぐってみると、それは鳥の巣にようにぼそぼそとほぐれてきて、
その繊維質の先に種が絡まるようにして付いています。
これはいったい、あの白い、緻密な噛みごたえのズッキーニからは、まったく想像の付かなかった展開となりました。
種は、青白くて、ぬめぬめとしています。形はかぼちゃの種をすこしスマートにしたようなものです。

そうめん南瓜、という中身のほぐれる南瓜があると聞いてはいましたが、
まさかズッキーニがその近縁だとは思いもつかないことでした。

こうして、金の巣に守られていた青白いたねは、優しい寝床を後にして
いま水できれいに洗われて、乾燥しているところです。
瓜ひとつで、何百もの種になりました。

ズッキーニの株はとても大きくなるので、畑のせまい我が家ではその一部しか苗にできません。
しかしながら、自分で穫った種を、次のシーズンに送り出すこと自体が面白く
また学びを得る事も多いので、これから、また少しずつ増やして行きたいものです。
品種として世に出ることのないこうした「たね」も、貴重な資源であり財産なのではないかと切に感じています。
posted by momouyda | 22:51 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
豆と近況
一月というとき、新年の始まりからそんなにまだ時間が経っていないというのに
やはり、お約束どおりに、もうすっかり時に追い立てられています。

育苗ハウスの中で、薄く稲の苗箱に広げていた豆たちは、囲いの中ぎりぎり一杯にあったものが
もう、残すところ数枚となりました。

根っからの管理人であるuydaは、それらを冬の間守り続けるのは気が気で無いと
早くこの世に放ってしまいたいといって、ついつい急き立ててしまうようです。
幸いお客様にはその思いが、いち早く通じていたようで
ご注文の締め切りまで、あと残すところ数セットとなりました。

したがって豆の選別も、気が付けば終盤です。
まるでみえない出口を追うようにして選っていたら、
残量のことをほとんど意識の外に追いやってしまっていました。

いまだ、数人のお客様をお待たせしているのですが、予定通りの締め切りでお出し出来そうです。
節分には間に合いますので、ぜひご家族で、節分の豆まきをほんものの大豆で楽しんで頂ければと思います。
殻付き落花生もおいしいですが、いまいち鬼退治の威力に欠けそうな気がしてしまう私です。

元気よく撒いた大豆は集めて水洗いしたのち、安手のフライパンで香ばしく煎って、
ご飯に炊き込んでしまってはいかがでしょうか。
きっと豆一粒ひとつぶが、鬼を追い払った充実感いっぱいの香りをご飯に移して
私どもを元気にしてくれることと思います。

明石にお住まいの賑やかご家族は、炒り豆ご飯についてこうおっしゃって下さいました。

「子ども達は栗みたいな味がすると喜んで食べていましたよ。」

作り手にとって、こころからうれしいご感想です。

四角い「ます」一合の炒り豆と、お米4合で、ちょっとリッチなよい配合になります。
水加減はいつも通りのお米に合わせればよく、特に増やさなくとも結構です。
つまり、お米を研いで水加減を済ませた段階で、
炊飯器のふたを閉める前にジュワッと炒り豆を注げば、上手く行くはずです。

本当は、春までかかってゆっくりと選別販売するつもりでおりました豆ですが
こうして、ご好評のうちにはやばやと終末を迎えることが出来そうです。
脱穀作業にあまりに時間をかけ過ぎたせいで、
全体量にはものすごいボリュームがあるような錯覚をしていたもので
もっとひろく営業先を考えないといけないか、とひやひやしておりました。
そうしてお声がけした件、やや勇み足となり、ご迷惑をおかけしているかもしれません。

今年の作は、初めてでしたので、まずはきっかけの段階です。
今後、悔しい虫食いや、乾燥不足の豆を減らす手だてを講じれば
もっとずっとたくさんの方々に、豆に触れて頂けるのではないかと考えております。
そういうわけで来作が、たいへんに楽しみです。uydaともども、そう感じることが出来ました。

なお選別作業は、とても大変でしょう?と言うお声を良くかけて頂きます。
のけぞる演技を付けて下さる方もいらして、私も一緒に楽しくなるものです。
確かに、楽ではありません。
しかしながら、メロンのように、夜な夜な倍々ゲームで細胞の数が増えるものと違い
冬眠に就いてくれていて、それ以上増えるものではないもので
いまの時期のように時間のゆとりがある状態においては、ご心配には及びません。

今年は、なぜか選別しながら音楽が聞きたくなったので、
uydaの持っていたCDと、私が長年存在さえ忘れていたCDなど、
手当り次第にかけてはいろいろな発見がありました。

いくつかの反省点とともに、今作を終えることが出来そうです。
次は、来作のための準備にかかります。
私はメロンの首に掛けるリボンを造り、uydaはビニールや有機JAS対応肥料の注文や
機械類の手入れなど、やることは無限です。
そして2月は、意外とイベントも多いのです。

春の気配を、もう感じているこの頃です。
posted by momouyda | 10:48 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
豆のその後
富良野盆地は、雪模様です。
今日から3日間降り続くそうで、まずまずのボリュームで積もってくれることでしょう。
つぎの週末には、スキー場がつぎつぎとオープンするはずです。
根雪になるには、まだちょっと暖かいようです。

さて、豆の脱穀作業を続けています。思ったとおりかなりのボリュームがあり
また、刈り取り時期が早かったために豆の莢が思うようにはじけてくれません。

しかたがないので、乾いたところを優先的に脱穀し、
もうすこし湿気を飛ばしたい部分はふたたび「にお」を積み直して後回しです。
ふらりとやってきたスイカの親方曰く、
「におの積み方が逆だもんよ〜」
それみたことか。刈り取りのときにuydaと私で喧嘩していたのはそのことだったのです。

すなわち、豆をつみかさねるときには、
茎の根元部分を外側にして、穂先を中心に向けるのが正しいというもの。
そうすることで通気を確保するはずのところ、uydaはそれを覚えていなかったようで
安定が悪いからと、つい穂先を外にして積んでいたのです。

私が違うといっても、そう簡単には聞き入れない頑なな亭主、
2年間、スイカの親方のところでお世話になり、幾度となくこの作業をしてきたはずが
uydaのなかでは消化出来ていませんでした。
しかし、ふらりとさりげなくスイカの親方が気にかけて下さったお陰で
その誤りがやっと伝わったのです。今解っておいて良かったというもの。

そういうミスはあったものの、乾いている部分をuydaが足踏み脱穀機で次々と叩きおとし
私は、脱穀機で鞘ごともがれてしまった豆を集め、長い棒でばちばちと叩いて残りの豆を出します。
そしてできた分からひとつぶずつ選別選別。いくらでも仕事はあるのです。

だめ押しに使っている棒の長さが91センチで、両手に持っているから、
弘前のねぷた祭でみた太鼓のばちを思いだしました。
長い長いしなった棒で、直径3mくらいはありそうな太鼓を、4人くらいで叩くのです。
つづみのように、叩く皮の面が胴からはみ出している太鼓で、
ベン、ともパン、とも付かない低くて大きくて鋭い音が腹の底から響いてくるさま、懐かしく思い出されます。
並んで歩く和紙の大きなあんどん「ねぷた」の中は、本物のろうそくが無数にともり、
ほの暗くてはかない様子が東北の空気にとても合っていました。

そんな懐かしく味わい深いねぷた、きっと永遠に見に行けないでしょう。
どちらもお盆が本番だからで、若い頃に見ておいて良かったなと、今更のようにおもうのでした。

さて、夏を想いながらも実は壁なしトンネル型のハウスの中での仕事なので
雪や風は容赦なく降り注いでいます。
体を動かしていても、木製パレットに座ったきりの脚先はどうにも冷えてしまい、冷たいです。

家に入ったら、まず足湯に入ってしまえば疲れの回復が早いことを学んだので
積極的に取り入れることにしました。
たらいにぎりぎり触れるくらいのあついお湯を注いでおいて足を浸し、
赤くなるまで待つ間、夢心地です。
足先の血流が良くなると、それはそれは気持ちがいいので続きそうです。
続けていれば、血流の癖みたいなものができて、血行が良くなるかもしれないとも目論んでいます。

野菜の煮汁を摂ることや、なるべく大豆を取り入れること。
どちらも体が軽くなり、喜ぶのが感じられるので、ここ数ヶ月続いております。
すこぶる快調です。
こういったオフシーズンならではの試み、小さいことも大きいこともたまらなく楽しんでいます。

なお人力中心でつくった大豆の売り出し、今月末くらいまでもうしばらくお待ち下さい。
しっかり乾燥させたいことと、全体量が把握できるまでもう少しかかりそうなためです。
もし、みそなどの仕込みをお考えで、早く欲しいとおっしゃる方はご連絡下さい。
価格は500gあたり500円前後、送料別途の予定でおります。

炒り豆と炒り豆ご飯がなんともおいしく、飽きないので、もう何日も食べつづけている我が家です。
この旨味、皆様にもぜひお目にかけたいので、どうぞご期待のほどお願い申し上げます。
posted by momouyda | 22:35 | 農作業 | comments(2) | trackbacks(0) |
ご近所のお宝
日々、飛ぶように過ぎていきます。
今日の窓の外は、降りそうで降らないどんよりとした雪雲におおわれて、
正午だというのに、夕暮れのようです。これが午後4時になれば、車のライトが一斉にともります。

つい2、3日前、近所の散歩道で大きな雄鹿が死んでいたのを見つけたuydaは
まだ、浮かない顔をしています。
隣の黒牛農家さんの敷地沿いであったので、親方に連絡するとすぐに、
あわれな鹿は草ロールを運ぶ大きなトラクターでひょい、とかかえられて簡単に連れて行かれてしまいました。

死後ちょっと時間が経ち過ぎていて、もう冷たいからこの背中のロース、喰えないなあ、
と一緒に駆けつけた地区のボスはにこにこ嬉しそうにのたまって、皆を楽しませていましたが
あまりに簡単にことが済んでしまったので、私はまあそんなものかな、と思いながらも、
鹿がいた場所から動こうとしないシータにリードを付けて、むりやり連れ帰ったものです。

ところがどういうわけか、uydaのこころにはダメージがきたようです。
第一発見者のシータは、大喜びで夕方まで興奮してなかなか寝付かなかったのに、どうしたことでしょう。

それで悶々とした日を送り、今日になってようやく、ようやく解体工事にかかってくれました。
玄関脇の小屋が、開かずの倉庫になっていて、なんとかしようというのです。

春の嵐にシャッターが弾かれて外側に飛び出したのを、そのまま釘で枠に固定していたので
シャッターは半開きのまま開かず閉まらず。
中にはいっていた肥料を取り出すには、横の窓を外して人間が入り、
僅かに残ったシャッター下の隙間に肥料の袋の隅っこをを必要な数だけ押し込んでおいて、
外に出てから引きずり出すという、まことに使い勝手と腰に悪い状態でした。

見た目もよろしくなかったうえ、また風が吹いたら、
今度は何処からでも破れて飛んでいきそうだったので
いまから壁の波トタンを剥がして屋根だけ残し、薪の保管小屋にしようという訳です。

バリバリ、ガンガンとトタンを剥がし、切り取ってゆくuyda。
厄とか浮かない気分は鉄くずの山と一緒に落としておくれ、と暗い空の下願う私。
課題の薪割りは依然、手つかず。小屋が整ったら、ようやくそれにかかってくれるはずです。
そう思っていたら雀が煙突に入ったので、まだ薪ストーブに火がなかったのは、これ不幸中の幸いだったようです。

私の方は、刈り取った豆を脱穀しようとしていて、
手始めに、家庭菜園の豆たちを豆の姿にしてやりました。
茶豆、白インゲン、早生の黒豆です。
家庭菜園といえど、悠長にひと粒ずつ手で鞘を開けていくような量ではなかったので、
木の丸棒を手に、ばんばんとたたき落としていきます。
カラカラと鈴のように音がする豆たちは、しっかり乾いているので、
ちょっとしたショックを与えるだけで鞘がぱちんと割れ、
勢い良く豆を放つと同時にくるんとカールしてくれるのです。

シートに集めた豆は、ゴミと一緒に唐箕(とうみ)にかけてみました。
唐箕は、ご近所の大地主さん宅で眠りについていたものを、お借りしてきました。
手で回す送風機の風に、豆などの粒とゴミとを少しずつ落とす仕掛けがついていて、
軽いゴミは機械の外へ、豆は重さで2種類に振り分けできるようになっています。
ハンドルこそ鉄の鋳物であるけれども、歯車と調整金具の他はすべて木製です。

動きをともなう道具が、ファンも、仕組みも、外箱も、全てかるい針葉樹でできている
というところがなんとも新鮮で、扱いには思いやりが必要なことがわかります。
ものすごい埃をなんとか掃除して、おそるおそる豆を入れてみました。

そして、右手でハンドルをぐるぐると回しながら、左手で豆の落とし口を少しだけ開けると
勢い良く、下からは豆が、向こう側からはゴミが風にまうように出てきました。
あっけにとられて、ハンドルの勢いがおちると、豆の中にゴミが混じります。
もう一度、最初から豆を入れ直してかけると、今度はきれいに豆だけになりました。

もっと上手く調整すれば、豆も軽いもの重いものの2種類に分けたりできるのでしょうが、
あまりに虫食いの多い今年の豆は、どちらにしてもそのあと一粒ずつ選らなければいけません。
初めて使ったご近所のお宝、素晴らしく早く無駄なく豆をきれいにしてくれそうです。

これともうひとつ、足踏み式の脱穀機と、唐竿(からさお)もお借りしてきたので、
本番である大豆の脱穀で使いこなしていきたいと思っています。
今月半ばまでかかりそうですので、体験したい方がいらっしゃいましたら、
お天気のよさそうなときにどうぞお越し下さい。


posted by momouyda | 11:50 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
秋の日
とうとう一週間後の天気予報に、雪だるまが現れるようになりました。
なるほど今朝などは、東の芦別岳のほうも、西の十勝岳連峰も、みな真っ白の雪化粧でした。
お昼過ぎまで雲が晴れなかったので、じめっとした寒さの中、体がどうにも動きたがらず
家の中で料理や片付けもので過ごしがちです。
春先からいままで、体の熱を外に出すように働いていた体が、
これからは熱を取り込むようにしようと極端に縮こまってみている、そんな感じがします。
丁度今から11月半ばくらいまでが、一年で一番寒く感じる時期です。

午後になって、ようやく晴れ間が見え出したら、いろいろ着込んでようやく外へ出られました。
そんな調子なので、人間だけでなく庭の野菜の伸びもまたすっかり滞ってしまっていて
いったいいつ見切りをつけて収穫しようかと思い悩むこのごろ。
なかでも少し動きの見える大根は、最近になってにょきにょきと地面から背伸びをはじめたものの
太さは昔のジュースの瓶くらいです。

他の野菜は、もっと小さく終わってしまいそうで
メロンやすいかの片付けがすんでから播いた種、やはり遅きに過ぎたようです。
それでも、寒さに締まって育つカブやほうれん草は、小さいながらも味わいが濃く、
中は柔らかくて、とても美味しくいただけます。

さて、ここのところ豆を干している間に、メロンのハウスに手を加えています。

山部の畑では出来ていたことなのですが、ハウスの両側面から法面の底にむかって、
黒いポリのシートを掛けるのです。
こうすることで、厄介なハウス際の草を避けると同時に、
ハウスの外側に付いた水分が落ちて、地面に吸収されるのをいくらか防ごうとしているのです。
ただ薄いポリを張るだけではすぐに風にめくられてしまいますから、
ハウスの中と外に軸となる鉄パイプを組み、除雪やハウスを掛ける作業で破けないよう、
外側は好きな時に巻き上げられるような仕組みにしておきます。
こんな面倒な仕組みを試そうというところ、uydaならではのオリジナリティです。

そのポリマルチを張るにあたって、あらかじめ邪魔な草を刈っておいたり
また鉄パイプや土嚢を用意し、運んだり並べたり組んだりと、段取りに手間がかかるのです。

ここ2、3日は、uydaが土建屋さんに雇われているので
残された私は、久々のひとり仕事を誰にも遠慮せず気楽にやっております。
秋の午後、低くてやわらかい陽射しが背中に当たるのが、本当に気持ちがいいです。
また、非常に眠たくもなります。
それは私だけではなかったようで、uydaの出先でも、
屋根の上にいる板金屋さんたちが、ああ昼寝をしたいとぼやいていたのだとか。

眠いまま鎌をふるっているのも危なくなってきたので、すかさずハウスの骨に掴まって、
背中を伸ばしたり、脇を伸ばしたり、軽くぶら下がって肩を伸ばしてみたり、反り返ってみたり。
すると秋の空に、全てが吸い込まれそうになります。

日が落ちるのも早くなって、今は4時半過ぎのこと。
あわててシータを誘い出し、夕方の散歩をしてくると、もう真っ暗です。
昼のうちに仕込んでいおいたおかずで、すぐに夕食に出来るというこのゆとり。
適度なる空きっ腹。
田舎の秋ならではの贅沢です。
posted by momouyda | 19:41 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
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