富良野で農家る! 桃子のローカル日報
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家の中で
雪の季節になりました。
ということは、移住して7回目の冬になるのかと、今驚きました。
つい1週間前程に、私はひとつ歳を重ねたところなのですが、以前はその頃もう山でスキーを履いていたのですから
冬の始まりが、こんなにも遅くなってきているのかと、あらためて思いました。

その雪と笹と風の茫漠とした風景のなか、はたしてここで生き続けられるのか、はたまた一人暮らしの長かった身勝手な自分自身が、
そもそも夫婦生活に適応出来るものなのだろうかと、まったくの見通し不明な状態だったことを思い出すと、
若さゆえの自由が、痛かったなと感じます。

それを10年またずに過去のものと感じられるのは、時代があまりに大きく変わってしまったからでしょうか。
いま不確定なのは、自分の問題だけではなくなり、社会全体の雰囲気でもあると、
この私ともあろうものが、文字にして書けてしまうのです。

そうはいっても、雪の中でこぢんまりした家にぼおっと明かりを灯して、じっと豆を選る作業をするほかに
今の私にできる仕事はないもので、なかなか進みはしないけれども、ただそれをこなしています。

今年の大豆は、最初に播いたときの発芽が悪く、発芽を見届けてからもう一度苗をつくり、
1本ずつ手植えしたものです。
普通、豆は豆を畑に蒔くのですが、あいにく季節は待ってくれないもので
育苗ハウスで「豆もやし」以上「豆苗」未満の姿に急速発進させて植えました。

通常の生長過程よりも3週間くらい遅れて育った分、葉っぱが枯れるまでに時間がかかり
刈り取るのが遅くなってしまいました。
豆の寿命は自然に決まっているので、最後まで畑で過ごし、枯れるのです。
野菜類は、寿命を畑で迎えるものは少ないのですが、穀物は枯れるまで青空の下にいます。

その、枯れた豆を刈り取って、豆の莢から豆を取り出すのが「脱穀」です。
豆の鞘は、乾燥が進むと、合わせ目から自然に反り返って豆をはじき出してしまいます。
秋の晴れた草むらを通ると、草の種がパチパチとはじけて飛ぶ音が聞こえますが、
豆の場合も同じように、自分で自分の種を播こうとします。
しかひそこまで乾かしてしまうと、刈り取りのときに豆もみんな弾き飛んでしまうので
刈り取ってから、干す作業をします。
それからがほんとうの脱穀作業で、唐竿(からさお)という道具を使い、人力でパタパタとたたき落したり、
機械で枝や鞘を細かく叩いて取り出したりするのです。

今年は、豆を植えた面積が増えたので、さすがに人力では追いつかなくなり
我が家はエンジン付きの脱穀機を使いました。
それはひょんなきっかけでuydaが競り落としてきたものです。

運転はなかなかにうるさかったけれども、やはり、その速さには圧倒されてしまいます。
昨年に比べて3週間分の遅れを、1日で取り戻してしまいました。
雪の中の湿気った、寒い作業だけに、これがスピーディーになるという事は、心から有り難いことでした。

しかし、人力の脱穀と違ってエンジンの出力は一定ですから、豆がどのような状態であろうと力強く砕きつづけます。
したがって、枝や鞘の粉が細かく散ってしまい、豆の表面にうっすらとかかる油分に誘われ
て表面に張り付くもので、
わずかに埃っぽい仕上がりになりました。
これは洗えばすぐに取れるものですが、やはり、細やかなゆっくりとした手作業とは差がでてきてしまう部分です。

また春の教訓から、種豆は多く残しておいたほうがよいことが解ったので
いま、まず種にする豆から選り出しています。
そのあと、皆様にお分けするためのまさに「粒選り」をして行きますので、
どうぞお楽しみになさって下さい。

一度に取れる豆は、私共の技術が熟していないもので、びっくりするような大粒から
超小粒までが混在しています。
目立って大きな粒だけを寄り出すのはスピーディーで簡単ですが、どうも大きい粒だけでは間抜けなのです。
標準から、それよりやや大きいくらいの形の良い豆を取り出して、
同じく主役に据えると、ようやく落ち着きがでました。
ベアリングのような工業製品ではないので、やはり、適度な揺らぎが大事なようです。

こうして、飛ぶように毎日が過ぎて行きます。
雪は乏しくとも、家や家族や仕事に囲まれていると、時間はいくらでも満ちて来てくれるのが嬉しいです。



posted by momouyda | 21:56 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
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