富良野で農家る! 桃子のローカル日報
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上京
東京に行ってきました。
来年度のメロンを売るにあたってのご縁を探り、運がよければ商談をすすめようというわけです。

最初に行ったオーガニックEXPOでは試食のおいしい一口にたくさん出会い、
シンポジウムでは有機農業をめぐる実情についてあつい議論が交わされるのを見て
世の中の動きをほんの少しばかり感じとることができました。

オーガニックなぞまだまだ山奥の小さな流れなのかと思いきや、
いまやそうとは言い切れないところまでポテンシャルを上げてきているようにも思えます。
たとい世の中がどうであれ、自分が目指し、行く事が出来るところは限られているので
要は、それを信じて建前を作る事が出来るだけの、そのよりどころがはっきりすれば良いのだと思っています。
確信をもって仕事を進めるために、判断材料を狩りにいく感覚です。

かつてサラリーマンだった頃、営業するには、売る物にまず惚れ無ければ人に勧める事は出来ないから
まず商品を好きになれ、とよく上役が顔を真っ赤にして口からしぶきを飛ばし叫んでいたものです。
とある知り合いは、それが防弾チョッキだったのでひどく苦悩していましたけれど
そこにほとんど抵抗がないのがうちの農業の良いところです。

営業の成果ははまずまず、というところでしょうか。
まずは一番先にお願いしたかったところで、契約出来そうな運びです。
これから夏に向けて細かい打ち合わせを重ねてゆこうと思います。

そういう口実にかこつけて、たまには街の空気を取り入れて、心の換気をするのです。
四六時中移動しながら仕事をするのは、都会ならではの働き方であって
いったん会社組織や都会を離れると、移動にはとんでもなくエネルギーが必要で
いかに動きを少なく、ロスや消費を抑えに押さえて生きる事が出来るか、という根比べになってきます。

ましてや富良野盆地。
この中で一生を終えると、若い頃から決意されておられる方々のなかにあって
ルーツのはっきりしないよそ者の弱みは、ときに大きく膨らんで心を堅くするのです。

ひさびさに両親や親類、友人に会い、着せ替え人形のように表面だけが替わってばかりいる町並みをまぶしく思いつつ
人が集まるということのエネルギーをつぶさに感じてきました。

大切な用事のほかは、特に決めてかかったわけではないということと、
ふたりで移動ばかりしていれば脚代もばかにならないということで
青山から渋谷あたりをのんびりと街を彷徨っておりました。
折しもお彼岸の連休だけあって、気になるイベントもあったのですが
欲張らず脚の赴くまま、ゆったりと街歩きの気分に浸るというのもなかなか良かったです。

uydaは初めてお台場に来たといい、私は横浜のみなとみらい地区をはじめて海の方からシーバスで眺め、
お上りさんの心地を楽しくあじわうのでした。
これが5年前なら、そんな時間的に非効率な過ごし方なぞ居心地悪くて
耐えられなかっただろうと思うのです。
私自身も、世の中の空気も、いつの間にか変っているという気が、私どもにはしています。

さて、ふたたび貧乏暇なしの我が家にもどると、シータが寒さに凍えておりました。
動物達は、みな急な冷え込みに準備が足りなかったのか、動きがさかんなようで
千歳から戻るまでの夜道150kmくらいの間に、跳ねられたばかりの鹿をはじめ、
道のど真ん中にたたずんでいる熊、キツネ6頭、タヌキ1頭に出会いました。
熊さんは困った顔をして振り返ると、歌のとおりスタコラサッサと路肩に走って、
わさっと茂みに飛び込んで隠れてしまいました。
慌てて走り込む後ろ姿、ダブンダブンと揺れる腿の辺りのたるんだ毛皮が、着ぐるみのように愛らしかったです。

すでに日が暮れると気温が10℃を切るようになっているので、
私どもも初めてストーブを点けました。
もうすでに、富良野は冬に追われています。

posted by momouyda | 23:38 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
野菜畑
久司道夫さんのことを知りたくて、調べていたらある対談記事に行き当たりました。
そうしたら、スープの話が出てきて思ったのです。ああ、これが食べたいな、と。
風邪を引きはじめたときであったので、まさに金の矢が飛んで来たという感じです。

それはにんじん、かぼちゃ、タマネギ、キャベツを同じようなサイズに切って
3〜4倍の水を注いで30分くらいトロトロと弱火で煮込むというもの。

これをスープと書きましたが、久司氏は「野菜の煮汁」とおっしゃっていて調理のプロへの配慮を感じるところです。
それほどに簡素な料理なのです。ただ、煮汁といっては旨そうではなかったので、
私はスープと言いたくなってしまいました。

幸い、それらはちょうど我が家にあり、ボールを持って庭をひと回りすると揃います。
キャベツだけは買ってきたもので冷蔵庫に控えていたのですが、あとは庭の地面にあったり
日陰で干されていたりするものばかりです。
それでさっそく寸胴鍋でそれを作って、晩のおかずに出してみました。
重たい食べ物が好きなuydaが、何というだろうかと思いつつ。

一緒に出したのはぬか漬けのさんまを塩焼きしたものを少しと大根おろし、
いぼいぼキュウリのぶつ切りなどです。
かのスープは、みそ汁の代わりとなってくれました。
uydaは特に何ということもなく、それを平らげてくれたので、しめたものです。

寸胴鍋のなかにはまだたくさんのストックがあり、これでこれから少々熱が上がって、
料理が辛くなっても大丈夫そうだという安心感をもたらしてくれました。

翌朝は、それを小鍋に取ってみそ汁に。
昼はカレールーを解いてカレーライスに。

カレーはuydaの分にはひき肉を足してボリュームを出し、私は納豆を添えて納豆カレーにと
ベースがあればそのさきのアレンジも楽なものです。
いつもならば、カレーの玉ねぎというとじっくり蒸らし炒めにしてコクある味を出していましたが
じっくり煮出した甘みは、また優しいものでこれもまた美味しいのだと知りました。
汁と具が調和した、平和な感じのバーモントカレーになりました。

それは久司氏の唱える本筋からは逸れるアレンジとは知りつつも、
己の意思でこれを食べ始めたのでない家族には私の思惑に気付かれない様にというか、
このスープの美味しさを直感で感じられるような駆け引きが必要なのです。
キッチンは実験と修行の場、食卓はときに土俵。
そういえば我が家の食卓は丸いケヤキのちゃぶ台で、土俵に似ていなくもありません。

そうしてその晩にはスープをもう一度作って、ということでただいま4日ほど続いています。
畑から出る野菜ででき、煮ている間は食事の準備の時間でなくても構わないし
この涼しい季節ならば、そう気遣いなく鍋のままストックできるということで、
いまなかなかに順調な滑り出しです。

さて今年の我が家の野菜畑、あくまで本業のメロンに熱を注ぐという決意で、
種類は控えめにやってきました。
上手く行ったものもあれば、今年は養成中でたべられないものも、また失敗したものもあります。
おかしなのは玉にんじん。
にんじんの種は、湿気が長く保たれ、なおかつ光が当たらないと発芽しないので播いた種には土をかぶせられません。
なので発芽が命の作物といわれています。
にんじん農家さんは、だだっ広い畑でどうするのかというと、種を播いたあとに
畑いちめんに接着芯のような不織布をひろげ、すっかり地面を覆ってしまうのです。ものすごい広さの畑をです。

家庭菜園の我が家では5月に種を播いたら、強風でみな飛んでいってしまい、
いざ湿気をまもる覆いをかぶせようとしたら
もう種の姿も形も無くなっていて、その気も失せてしまったのです。

それで諦めていたら、最近になって野菜畑のあちこちににんじんがひょこひょこと出てきました。
どの農家をもさんざん悩ませている長雨のいたずらで、飛んでいった種が草の陰でじっと守られていたのが、
それぞれ思い思いのところで芽を出したのです。
これを一般の畑では「野良生え」といって嫌い、雑草と同じく病気の巣になるからと
除草剤で根こそぎ退治されてしまうような存在になります。

しかし、けしからん我が家の畑は自分のもの。お金になるかどうかの物差しを離れてしまえば、
こんなにんじんが、風邪の危機をやわらかに癒してくれたりします。
じつに本来の収穫の予定よりひと月おくれとなったいまでも、ほんの少しずつ穫れています。
いっぺんに穫れないから、そのとき穫れた量に応じて使う料理を変えれば良いわけで、食べる方も気が楽なのです。
そして、じっくり育ったにんじんは、手のなかでどろんこをいっぱいまとっているまま
ワレコソハ人参ナリケリ、といわんばかりにレトロな人参臭を放ってくれます。
田舎おやじなルックスながら、なかなかにスパイシーです。

そして、本作では雨に負け全滅したエンダイブが、なぜか道のど真ん中にひとつだけ
元気に野良生えしてくれたので、これまた貴重な存在です。
大事に葉っぱを何枚かずつ頂戴して、付け合わせにあしらったりもしています。

すでに脱穀を済ませて瓶に入れた白インゲン豆の「まんずなる」、
今年のヒットであるほろほろ美味しいイボたくさんのキュウリ「神田四葉胡瓜」など、
どれも種から構っていると面白いことばかりです。
よく農家の起業本などには、経営のこつは家庭菜園をやらないことという一文が出てきて
読む程に引っ掛かり、しょっぱい部分ではあります。

やってみると、たしかにその面白さ、奥深さに危うい魅力さえも感じられ、その意味がよく分かるのですが
自家用野菜が作れるのは農家の特権でもあるのですから、この恩恵の意味をよく踏まえて
これからも少しずつ試みたり、味わったりと、あらゆる面で経験を積んでいきたいと思っています。

posted by momouyda | 22:57 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
赤とんぼ
大雨がやんで、ぐっと涼しくなりました。
もう朝晩はひんやり涼しくて、靴下なしでは過ごせません。
つい4〜5日前まではタンクトップにビーチサンダルでも大丈夫な陽気だったのに
まるで塀の上から石が落ちるがごとく、急に季節がかわる北海道です。

それを地元の人はよく
「北海道は季節がはっきりしているからいいでしょう」
といいます。
内地の人間にしてみれば春と秋が極端に短く詰められているようで、移ろいを楽しむ暇がなく
夏と冬ばかりに思えてしまい、
いいとか悪いとかということを問われると困ってしまうのです。
きっと、清少納言も同じようにのたまうと思います。
私はなんとか、そうですね、解り易いですね。と答えるのが精一杯で、なかなか褒めるに至らず失礼しています。
もっとも、北海道は広いので富良野を離れればまた事情が違うのかもしれません。

さて、大阪は淀川沿いにお住まいのH父さんお母さん、
奈良公園の大きな眼をした鹿を撮ってのお便りありがとうございます。
秋は大阪に向けて出発しましたか?とのこと。間違いなく、出発いたしております。
いま富良野は昼間は赤とんぼ、夜は大きなクスサンという蛾など、それはそれは虫がいっぱい飛んでおり、
なかでもかわいらしい赤とんぼの背中に載って、秋は順々に南下して参ります。
大雪方面へのお出かけは、とんでもない夏を過ぎていますので、もう大丈夫です。
台風に当たらぬよう、お気を付けてお出かけ下さい。

ちなみに、スイカのトンネルを片付けている時に気付いたことがひとつ。
赤とんぼは、竿の先に止まるものですけれども、竿は竿でも赤いものが好きなようです。
スイカの着花棒として、畑には赤い針金と白い針金が混ぜこぜに立ててあったのですが
先っちょにトンボが止まっているのは赤い針金の棒ばかりなのです。
トンボ自身は自分の背中の色を知っているのかいないのか、ともかく親近感が沸くのか本能なのか、
赤い棒にはみんな赤とんぼが止まっていて、遅れてきたトンボが止まるところが無いと白い棒にも
仕方なく止まるのだということが解りました。
畑のトリビア、何へえだったでしょうか。

そんなダイナミックな季節の変わり目に、
ここのところ不特定多数の人と会う機会が多かったので、風邪をひいてしまいました。
普段、土ぼこりはさんざん吸っていても、人の埃には滅法弱いようです。
生き方が馬鹿だけに、風邪はなかなかひかない私どもではありますが
普段は夫婦以外の人と接する機会がほとんどないのですから、あたり前のことなのでした。
出荷と代金回収がほぼ済んで、気の抜けたままだらだらと仕事をしていたところ
その隙を風邪のウイルスは見逃さなかったようです。

しかも、ここ最近はメロンづくりの道具を何でもかんでも水洗いしていたので
部分的な冷えが良くなかったのでしょう。
育苗用のポリポットがあともう少し残っているので、済ませたいのは山々なのですが
致し方ありません。

しかしながら、たくさんの方々とお会い出来たのは、この季節ならではの喜びでもあります。
地区の神社祭や、それに伴う奉納球技大会、旭川や札幌でのオーガニックに関するイベントなど。
特に奉納球技大会は、この地区の年中行事では一番盛り上がるので熱が入ります。
そう言いたいところが実は、周囲の盛り上がりに反して
我がチームはいつも一勝も出来ずに終わるというシナリオがなかば出来ており、
辛い歴史を刻んで来ているのです。今年もしかり。
それでも何でも夜の飲み会を欠礼するのもそれまたくやしくて、
やけっぱち半分で大人の周りでわいわいと遊んでいる子供たちと一緒になって遊ぶのも、
たまには楽しいものです。
来年こそは一勝したいなと願いつつ、ミニバレーで奮闘した証にこしらえた擦り傷に
消毒薬を吹き付けたのでした。

風邪の方は大した症状ではありませんが、鼻と耳にかけて腫れぼったくて腰が痛いです。
明日から、また行事が続くので、今日は家のなかでで大人しくしていようと思います。
家のなかでは、私達の仕事の方向性をしっかり示してくれている本が待っているのです。
つい最近手にしたので、読み切るのが惜しい心地でゆっくりと読んでおります。
片付けはすこぶる低調。しかし気分はもう、来作に向いてしまったこのごろです。

posted by momouyda | 09:24 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
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