富良野で農家る! 桃子のローカル日報
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春のいぶき
冬が終わろうとしています。

残り少ない日々が惜しくもあり、また春らしく空気にかすかなざわめきのようなものをかんじるからか
最近はとても予定が立て込んでいて、沢山の方々にお会いする機会が多く
人付き合いの不器用な私にとって、得るものがふんだんに詰まった楽しい日々となっています。

しかしほんとうに、スキーでだだっぴろい斜面をただ落ちてゆくように2月は去ってゆこうとしていて、
詰まり過ぎたはずだった予定の手応えが、あっさりと過去に飛んで行ってしまうのです。

さて、こうして容赦なくシーズンはやってくるもので、
先日、冬の別れを惜しむつもりで姉貴分と雪山に行って参りました。
この冬は、降雪がとても少なかったので、いつもなら同じ場所でも3日経てばコンディションががらりとかわるところ
なかなか変容が訪れずに時が経つもので、あまり山に行く回数を重ねられませんでした。

晴天に恵まれたこの日は、雪質と斜面のバリエーションに富んだいつもの山ではなくて、
見晴らしのよいロケーションを選びました。

ゲストの存在は有り難くて、いつもの私共ならばさっと何気なく帰ってきてしまうであろう山々が
ゲストの喜びが加わることで、まったく違って見えてきます。
3人で思いを分かち合いながらゆっくりと進むことで、
上にも横にも後ろにもひたすら続く美しさと、山の大きさの味わいが立体的に深まるようです。

あらためて、この地に住むことができた幸運を思うのでした。

この地に住むことを決意した6年前、私とuydaが出会う架け橋になって下さったのは
美馬牛「ガイドの山小屋」さんです。
かつてここでuydaはアルバイトをしており、私は初参加の客というのが、出会いのきっかけです。

姉貴分もときどきその雪山ツアーに参加していて、5年前に私も一緒に滑ったことがありました。
ですので今回も、姉貴分の道具一式をお借りして、山に向かった訳です。

フィッティングに伺うと、ちょうど社長の三浦氏は、偶然にも我が豆を納豆に仕立てておられる最中でした。
発砲スチロールの玉手箱のなか見せて頂くと、見たこともないほど大きな粒が、
柔らかな菌層をまとって静かにボウルの中で瞑想しています。
発酵途上の納豆を一粒戴いてみると、ふっくらと濃厚な味わいと、指先にしつこい粘りが残りました。
その我が大豆を納豆に仕立てた一部始終を詳しくレポートして下さっています。

発酵には2日と、クールダウンの時間をかけるのだそうで
やはり愛情と気遣いのゆとりを求められる仕事だなと感じました。
いつも雑事に追われている働き者のかあさんよりも、こういう時間の単位が違う仕事は、
意外とご亭主の方が得手なのではないでしょうか。
ご家庭の数だけスタイルはあるとおもいますが、少なくとも、今の私にとっては何年も早いように思われました。

有り難く、お土産に戴いた一握りの納豆を、味わい、噛み締めるのみです。
癖のない、美味しい納豆でした。

そして、深山峠「まめでたっしゃ」さまや、富良野駅前「びすたあーり」さまのランチでも
和風の煮豆やトマト煮などで、お皿の脇役に参加させて頂いています。

こうして、たくさんの方の多様な手間と時間を拝借しながら、豆は人々のなかに染み込んでいき、
さまざまな元気へと変わっていっているようです。
発信した者として、心から幸せに思います。
ご縁を頂戴しました皆様、ありがとうございます。
posted by momouyda | 23:22 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
黒の深さに
ゲストウィークはまだ続いていて、思いもかけないお客様や友人までもが、
いらしてくださいました。

そのなかで、突然届いた小包の箱。
開けてみたら、煙ではなくて真っ黒いお椀がころり、でてきました。
ああ、老けなくて済んだ・・・。
と思ったのもつかの間、なんだか一寸法師や目玉おやじがどこかにひそんでいそうなほど
なんだか茶目っ気と意外性が詰まった、おかしな箱でした。

送り主は、讃岐の「造(みやつこ:竹取物語のおじいさん)」ではなく、「和うるし工房あい」のお二人です。
このお二人に、お椀の修理を頼んでいたのが帰ってきたのでした。
最近、結婚記念日に我が家にお目見えした白い器たちに負けじと、
残されたお椀の皆が呼び寄せてしまったのでしょうか。
それとも、炒り豆ご飯のモデルに使わせて頂きながら、ご紹介を怠った私共へのアピールだったのでしょうか。

そのお椀を修理に出す前は、若々しい艶があって、子供みたいなあどけない外観で、
よく見ると、ちょっと内側の肌が荒れてしまっているのにはたと気づき、
さあ困ったね、とでもいいたいような表情をしていました。

工房のある郷里で、欲しいだけ特上の漆を吸わせてもらって、その上もう一度透明な漆を塗ってもらい
帰ってきたお椀は、すっかり大人の顔になっていました。
しっとり奥深くて、ちょっと話しかけづらい感じさえします。
買った当初よりも、あきらかにいいお椀になって帰ってきました。有り難いことです。

そうでした。そのお椀も、彼らが工房を始めて一番初めに開いた個展で売っていたものです。
当時高松の商店街にあった、宮脇書店本店のの地下ギャラリーで、
なんだか高松らしいゆるい雰囲気のなか、漠然と「陳列」されていたお椀たちのなかのひとつでした。

まだ、それからかれこれ10年くらいしか経っていませんが
彼らはもはやデパートの特選和食器売り場や高級ダイニングに、常連さんとして全国規模で活躍中です。

なぜそうなったのかは、HPをよく読めばわかるものですが
ひとえに、おそらくはおなじ容積の金と同じくらいはするであろう日本産の漆だけを
手間なぞまるで計算に入れずになされている仕事であることや、
親しみやすくこまめな発信の積み重ねであることが、その秘密です。
恐るべきほどの精度と仕事量は、並の人の心臓3つ分くらいはありそうな和明氏のバイタリティから、
また猫まじりの楽しいブログは、雑誌編集のキャリアが長かった佐和子氏のクリエイティビティから
それぞれが湧き出て、絶妙により合わさっているからです。

だから、友人であって、仕事上の大先輩でもあり、われわれの大切なリーダーのひとり、いや二人なのです。

ちなみに、彼らのブログで最近の記事になったケーク・サレ
これを焼いたのは、まちがいなく和明氏のほうで、彼はいつだって過酷な課題を常に嬉々としてかるがるやってのけ
おまけに、会うたび佐和子姉さんあてに特大シフォンケーキを大風呂敷に包んで登場していたのです。
そこまではすこぶる格好いいけれど、当時、とてもじゃないが空気を読むセンスなど
まるでわきまえていなかった私が、それをむしゃむしゃと戴いていたというパターンでした。
生涯、あれほどおいしくたっぷりとシフォンを頂いたことはなかったように思います。
なぜならそのころの佐和子姉さんときたら、お弁当のおかずは、
野草のおひたしと雑穀米を中心とした、おしゃれな粗食だったからです。

このお二人と、一時期をすごしたことがあったもので、
そのころからずっと、いまだにメロンやスイカを通じてとても良くして頂いています。

新しいお椀の塗り肌は、かぎりなくさらさらとしていて、やさしく奥深い艶をしています。
いままでに見たこともないものです。
御礼の電話がてら聞けば、思い入れの深い、貴重な漆を掛けて下さったそうです。
こうして、今度のシーズンに向けて「いい気分」の貯金がたまってきました。

明日もしくは明後日からは、我が家もいよいよビニールハウスの骨組みの上に、
ビニールを載せ始めるつもりです。
シーズン初めに向けて、エンジンをかけ、暖気運転を始めるときがきました。
ちょっとしたお祭り気分から、徐々に心のネジを巻いて行こうと思います。
posted by momouyda | 22:20 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゲストウィーク
雪があるあいだの我が家は、掛けっぱなしの育苗ハウスがあり、uydaは鉄道関連の除雪をしているので、
雪でハウスが潰れてしまわないよう気を付けたり、呼ばれたら24時間いつでも飛び出せなければならず、
つねにスタンバイ中であり遠出はできないのです。
つまりは、本当の意味でのオフシーズンは秋のうちだったわけで、いまは移動の融通が利き難いときなのです。

ところが先月末からここしばらくは、ありがたいことに
ほうぼうから珍しい方々がつぎつぎに富良野にいらっしゃるもので
引きこもりがちな私共にとっては、とても新鮮な日々となっています。

いらっしゃったゲストといえば、東京からは土壌学の教授とその助手、また協賛の業者のかたがたなど、
全国土の会ふらの支部の勉強会に、大勢の方がいらしてくださいました。
私はその幹部ではありませんが、ひょんなきっかけでお手伝いに起用下さり、
受付業務をしながら、かれこれ5年振りに接客業の面白さを思い出しました。

たまには野良着でなく、スーツを着てぱりっとするのも大事です。
そして来られた方々の熱いエネルギーを戴いて、私は今作もまたしっかりこなしたいものだと
よい意味でのプレッシャーに変換しているところです。

そして、北京からはスウェーデンとノルウェイ人の友人夫婦が遊びに来てくれ、
まずは食事をともにしました。
今回で、会うのは3度目になりますが、一度の滞在が長いぶん、
たくさんのコミュニケーションをとることができています。
前回も、この富良野の雰囲気であるとか、日本人のきらいなところなど、
下手な英語でも意外と深い話ができてびっくりしていましたが、
今回は北欧の歴史であるとか、時事問題についていきなり深い話になったのが面白いものです。

おそらく彼らからすると、私なぞ10代の子供みたいな体をしているうえに、黄色人種でもあり、
街ですれ違うくらいの何にも知らない関係ならば、絶対にこんな話題に花が咲く相手ではないだろうなと
あまりに簡単に想像出来るのもので、出会いというものの不思議さに、ほとほと呆れてしまいます。

そして、食事はuydaが彼らと最初に過ごした家でもあるカフェゴリョウでしたが、
いまなお素朴ながらしっかりした空間を造り上げつづけている陳さんカナさんご夫婦にも
御礼をもうしあげます。
かつてuydaが暮らしていた母屋が、人々を迎える宿に変容している今をみせていただき、
そのさまが、ダイナミックで皆とても楽しむことができました。

そのほか、地元の若いお母さん方の繋がりでは、徳島から講師の先生がいらしたおかげで
心をともにする仲間がどんと増えてしまったり、たのもしい繋がりが広がりつつあります。

せわしいながらも、心のクールダウンをかねて今日はuydaと山に入ってきましたが、
節分だけあって、春の陽射しに小鳥たちが遊び出していたり、木の芽が少しずつ大きくなっている気がして
確実に季節の変わり目をかんじます。

夕方には地元のナチュラリスト御用達まめでたっしゃの恵方巻きと節分にちなんで
豆を主役にした細やかなおかずに、夫婦でやさしく静かな喜びを分かち合いました。
我が家の豆も、そのなかに使ってくださっていて、
なかでも長いもとともに豆を梅酢に浸したピクルスを、uydaがいたく気に入っておりました。

雪景色にさす光と陰のコントラストが、あたたかく見えるようになったこの頃です。
posted by momouyda | 20:35 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
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