富良野で農家る! 桃子のローカル日報
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桜の便り
わが父の誕生日とともに、夏の幕が開きました。桜が咲き出す、今年のビッグバンです。
ここでは桜が咲いたら、メロンの伸びが勢いを増して来るのです。
ここを過ぎると日中は急いた心地で飛び去ってゆくもので、桜のたよりといえば遠く500m先に、
鳥沼小学校の校庭のふちをかざる桜を、近眼乱視のいい加減な景色に辛うじて納めるのがやっとです。

そうして常夏になったハウスは、せっせと陽射しを集めてメロンをつつみ、
風がないときは、みるみるうちに音もなく濃度を増してゆく空気の密度を、
冷ややかに体を伝ってシャツの腰のあたりに落ちてゆく汗の雫の重みとリズムが
じつによく表しているものだと、冷めた頭にふと浮かび上がることもあります。
したがってあっという間に、体じゅう塩まみれ。顔から脚の裏までべたべたです。
こんな時期の私どもに減塩など無用で、今は特にみそ汁や梅干しの旨さがちがうのです。

そしてハウスの外では、タンポポがコインを散らしたように一気に咲きました。
去年の日照が極端に多かったのに加えて、このふんだんなお湿りが効いたようで
今年は見たこともないくらい黄色の濃い、力強い咲きっぷりです。

タンポポにしてみれば、きっとあのゴボウのような根っこに、ふんだんに養分を蓄えていて、
地上にそれを放つ時を、秋から春まで今か今かと待っていたのでしょう。
しかしながら、このしたたかな生き物をはびこらせていると、
年季の利いた先達からすれば、いつお叱りをうけてもおかしくない光景でもあります。
といえども、シバザクラや、白いツツジを引き立てて1つの風景を成しているところは
どうにも優しく美しいです。まったくこれだから、おのぼりさんは怪しからんと、我ながらに思います。
故にちかぢかuydaは、スコップでひとつひとつ根っこを切ってまわると申しております。

そのような暢気な仕事っぷりながらも、いつの間にか全てのメロンと、ほぼ7割方のスイカを
植え終わってしまいました。
そしてメロンの調子や、私共の手入れ、ともに今のところ上手く行っています。
最初に植えたメロンは、もう花が咲いて、みつばちの力を借りながら実を作りはじめるところに来ました。

晴れた今日は、みつばちがせっせと飛び回り、花から花へと働いてくれています。
そのお陰で、夕方日が落ちて暗くなる頃まで、あわれ巣箱の入り口が帰宅ラッシュに見舞われました。
巣箱に帰ろうとしている蜂が、団子のように固まっているのです。
そう言えば、「ラッシュ」というのは本来、このごろのメロンのように
一気に植物の伸びが盛んになることを言うそうです。
もじゃもじゃと黒い働き蜂のたかる光景をさすのではなく、メロンのほうに使うのが正解なのでした。

ラッシュであり、ビッグバンであり、折しも満月が同じ時期に重なって
今年のプロローグは、なかなかにダイナミックです。
私はつい、土をけちって小さな鉢にひまわりの種を撒いてしまい、
それを少し大きめの鉢にを植え替えるのに追われてしまいました。
選りすぐりの、パンパンに張った勢いのよい種であることをすっかり忘れていたので、
満月の時期に独特な、芽の出るあまりの勢いに圧倒されてしまったのです。

器を大きくしておかないと、根っこがすぐに伸びしろを失ってしまいます。
それは私共もまた然り。しっかりとこの地に立ち、根ざすには、
メロンの結果で応えていくしかありません。
どうか、美味しく、美しいものができますように。
明日も、ビニールハウスという試験管のなかで、ごく細かく働いてるのであろう
ゾウリムシのような私どもです。
posted by momouyda | 22:55 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
夏に向けて
日々、流れ星のように、願いを込める間もなく去って行きます。

富良野は今日も雨がちで、寒い一日でした。
桜の便りは、札幌までは来たようですけれども、雨が多くて暗い日々に、
ここではまったくその気配が感じられません。
コブシの花が5分咲きになったところで、すっかり停滞してしまいました。

冷たい雨のうちにひっそりと青みを増して、みるみる元気になって行くのはしたたかな草ばかりで
肝心のビニールハウスは銀色の砂漠でなくなり、不時着した宇宙船のような淀んだ時の中を耐えながら、
メロンは静かに陽射しを待っています。

それでも最初に植えたメロンは、随分とのびてきました。
株元から通路中央に向かって、葉っぱの織りなす緑色のグラデーションを眺めるのが、いつも楽しみです。
先端から伸びるヒゲづるが、何かを訴え、話しかけているような気もします。

人間の方は、そんなときに手出しなどできず、かといって準備を進めたいスイカ畑は水っぽくていじれないので
メロンの苗を少しいじった後は、家の中でそれぞれ机に向かっていました。
uydaは事務手続きに、私はお店で使う看板の下絵を描くのに、それぞれ細かく詰めていたら
一日などあっという間です。
しかし、お陰さまで随分と仕事が進みました。

今年のウエダオーチャードは、富良野の街中にある「フラノマルシェ」にて、メロンを販売します。
我が家にも、棚を貸し出して頂けることになったので
このところずっと、メロンを並べる棚のディスプレイを考えているわけなのです。
我が家のこと、市場を意味するマルシェという和製フランス語に抱いているイメージは熱気球なみに膨れ上がり
いまにも離陸しかねないほどですが
一体その展示台を満たすには、どれくらいのもの持ってゆき、並べたらよいのか
やってみないと解らないことばかりです。

野菜果物はタイミングが勝負ですから、そもそも規模の小さ過ぎる我が家の力では、
大手スーパーのように、いつも同じ物がふんだんにある状態には持って行きようがないので
商品よりディスプレイが勝ってしまうような展開も覚悟しつつ、ベストを尽くしてみます。

贈答用メロン以外にも、摘果メロンや野菜も少し並べますので、
小物を入れるゴムバケツを用意しました。
おなじバケツを30個注文すると、これまたすっかり業者の気分です。
そのほかカラフルな大物用のバケツもいくつか用意しましたので、
いまその使い方を探るべく家のなか、育苗ハウスなど、あちこちに散らばっています。
いま恐らく富良野でいちばんのバケツ長者になりました。

フラノマルシェへの出店は6月からですので、それまでに庭先の野菜が育ってくれるように、
太陽と土に向き合っています。
やがて噴火のようにやってくる夏を待つのみです。

なお、ウエダオーチャードWEBSHOPもリニューアルオープンしております。
開店と同時に、つぎつぎ常連のお客様からオーダーを頂戴しまして、誠にありがとうございます。

今年は育ちのやや早い「ゆめてまり」が最初に穫れます。
このメロンもキングルビーと同じように、味は良いけれども熟すと割れやすいので、
この品種を手がける農家さんはそう多くはないはずです。
珍しく、また北海道らしく、中身は鮮やかなオレンジ色した新品種の「ゆめてまり」も、
どうぞお試し下さいますようお願いいたします。

それでもメロンが穫れるまで、まだ時間がふんだんにありますので
夏のおくりものをお考えでしたら、ぜひご検討下さい。
今年も、ご家庭用のプレゼント企画を続けることにいたしましたので、どうぞお楽しみに。

お客さまからのご注文を、心からお待ちしています。

posted by momouyda | 23:39 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
籠の鳥は

日本列島を大きく渦巻くように、衛星写真は大きな雲を映し出しています。

富良野は風も雨も激しく、まだ洗い足りないとでもいうかのように、油気のない外観の我が家にまで

粒の荒い雨をたたき付けています。


かといって農作業が休みになることがないのはハウス栽培農家の宿命で、

泥や水がハウスに入らないように気を付けながら内装をしたり、苗を世話して植え付けたり、

植えたメロンの姿を整えたりします。


駆け出しのメロン屋たるもの、まだまだ晴耕雨読というわけにはいかないもので

小さな本棚のしたのほうで、春先までに読み残した本が渋滞したままです。

それでもうっかり図書館に寄ってしまうものだから順番は先送りに滑ってばかりいて、

背表紙の列が、さらに伸びました。

それらを読みたくて、新聞テレビの入り込む余地のない生活をしているのに、このていたらくです。


そしてメロンにとっては、晴れた日に作られた養分を使ってぐんと成長するときでもあります。

雨の日のメロンは、葉っぱや蔓が炎天下のごわつきを忘れたように明るい緑になり、

触った感じもふわふわとしています。みずみずしく、美しいです。

楽園の生き物というにふさわしい雰囲気で、

まだ苗のくせに、どういうわけかときどきメロンの香りをさせたりもします。


こうしてハウスがかかっているとはいえ、結局は雨の影響を避けることなどできないのです。

私共のメロンの根っこは地面に刺さっていますから、

雨で地下水位が上がっているときは土の中にふんだんに水気があるので、

ここぞとばかりに、水分をたっぷりと吸い上げます。

そんなときのメロンの手入れは、私どもにとっても気が気ではなく、

繊細そのものの葉っぱや蔓の先を傷つけないように、地面にピンを刺すのにもそっとそっと行います。

まだ小さいので、蔓の先が折れてしまうと実がならなくなってしまうからです。


そうしているうちに、散歩道の雪はどこにも見当たらなくなりました。

日ごとに麦畑は青く、人参畑は布で白く、スイカ畑はビニールの銀色に覆われていっています。

見上げれば、木々の枝先は赤く芽を吹き、

足元では、どさんこ犬の毛が少しずつ抜けてきました。

衣替えの時期は、大地も生き物もおなじです。

私どもは、そうしてこれからのむずむずした忙しさを思い起こされます。


そんな時期にいっそう、いま不安が不安を呼ぶ世間から、ときに嘆きの声もきこえてくるもので

つい心がささくれ立ちそうになりますけれども、

このタイミングだからこそ、私の心の中に仕舞ってあったこの力強い言葉のむれに再び目を向けてみたいと思います。



<日本国憲法前文より>

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われ らの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉 ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。



私にとって国家という大きな組織のことは与り知らないけれども、

その構成員であるということはどうにか解っていて、

メロン屋の女将としては、その最小単位である家族をはじめ、

メロンを求めて下さっている方々とのつながりを持ち続ける役目を負っています。

文中にある国家、国民、自国、他国、各国などということばは、どれも周りのごく小さな家族や、

友人達と分かち合っている関係、地域のつながりなど、身近な世界に読み替えることができるのではないかと思います。


形ある戦争の時代はとっくに過ぎていますから、

今や見えない圧力や侵略が、生活そのものに染み込んでしまっているけれども

その状態から、それでも一歩進んで行かなければならない、と日本国民は誓ってきました。

それがほんの建前だとしても、もう60年以上も前からです。


噛み締めた柏餅の葉っぱの香りの奥に

ほんの建前が、いま童話のなかの青い鳥のようにも感じられるこのごろです。

posted by momouyda | 20:45 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
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