富良野で農家る! 桃子のローカル日報
雪見
雪が降りました。
これからしばらく降り続くようなので、これが止んだら大豆を脱穀します。

ようやく冬が始まる気配に、わが犬は大はしゃぎで耳を立て、いつもと違う顔をしています。
顔や手先をはじめ毛の色まで、ほんのり赤みがさしているようで、本能がそのままよろこんでいるかのようです。

ここしばらく小春日和が続いていたから、この急な寒波に、地元の人々も体とこころが縮んでしまったのかどうなのか
夕方に山の上にある温泉に行ってみると、いつもは常連さんでにぎわっているはずが、ほとんど貸し切り状態です。
独り言も、湯船でのストレッチも、遠慮知らずの優雅な心地に、
こんな吹雪もなんのその、とつい浸りすぎて露天風呂で頭を冷やしすぎたのか、今日は喉が痛いです。

さて、こんな日は引きこもってじっくり料理をするに限ります。
バケツを持っていって、畑に残っていた最後の人参を抜きました。
玉にんじんといって、ピンポン玉のように小さな人参です。
ちいさいながらも、夏の間じっくり時間をかけて育ったので、抜いたとたんに人参の香りが強烈にするものです。
葉っぱも香ばしいので、刻んで塩で煎り、ごまとともにふりかけにします。

ほか、義父が作った里芋や、ごぼう、ご近所のタマネギ、その他いくつかの野菜を丁寧に刻み、
寸胴鍋でゆっくりと火を通して、30分。

そこからおたま3杯を小鍋にとって義母が送ってくれた味噌を溶き、野菜の甘みが優しいみそ汁を頂きました。
野菜以外の出汁を入れていないので、味噌でなくとも、酒と塩、醤油、趣向を変えて和風のカレールー、
とろみをつけてあんかけなど、ここまで調理してストックしておけば、さまざまな仕上げのアレンジができます。

あまり消化器系の強くない私は、博多の明太子育ち、焼き肉好きな旦那の好みについてゆけないので
肉入りの辛いカレーのときは、私はみそ汁を頂きます。
最後の味付けと盛りつけが違うだけで、ベースのスープと、炒り豆入りご飯は同じものですから
違うようでいて、もとはおなじものを摂っているのです。

しかし、まるいちゃぶ台に、どれもを同時に暖かく載せようと思うと
手間と時間的なコーディネートにこつが求められるということはさることながら
仕上げのとき小鍋が沢山いるので、ゆくゆくは3口コンロが欲しいなと思っています。
室内がそう暖かくないだけに、なるべくなら、お皿も暖めておきたいところで
いつも暖かい薪ストーブが燃えている冬は、その熱が使えるので気が楽です。

そしていつか、羽釜と薪でご飯を炊いてみたいものです。
田舎の冬でなら、それが許される気がします。

その昔ちいさな和食の食堂でアルバイトをしていたとき、2升や3升炊きのご飯を、
あつあつもうもうのガス釜からおひつに移すのが、毎日とても楽しみだったことを思い出します。
直火で炊いたご飯は、本当にご飯粒が垂直に立っていて、ぶつぶつと深い音をたて生きているかのよう。
肉厚の釜からあがる湯気が熱すぎて、眉間が寄ってしまって真顔ではとても居れたものではなかったけれども、
左手に濡れ布巾、右手に「宮島」とよばれる大きなしゃもじを力一杯扱いながら、
巻き込まれる心からいい香りに、日本人ばんざい!とこころのなかで叫んだものです。
さすがに、家でそんな量を一気に炊くことはないけれども、いつかまた、直火で炊いたご飯に再会できたら嬉しいです。

幼い頃を公団住宅で育った私は、田舎でなら古くさくて仕方がないものに惹かれます。
そんな、生易しいものではないと叱られそうですが、
そこには荒々しさと細やかさのないまぜになった、奥の深いかぐわしい世界があったのではないでしょうか。
おそらくいま、その世界を生きる強さを、私の体は持ち合わせていないのだけれども
やっぱり心のふかいところでは、それを求めている気がしてならないのです。

ながらく、米とともに日本の主食であったのであろう大豆。
これを扱っていると、心底そう思います。

作業や暮らしのなかから、この先また何ができるようになるのか、
そっと雪が積もるような、ほのかにあたたかい期待を抱くこのごろです。



posted by momouyda | 16:04 | 雑記帳 | comments(2) | trackbacks(0) |
白いりんご
とうとう、私の手元にノートパソコンが来てしまいました。

幼いころから身近にパソコンはあったけれども、面白かったのは学生のときまでで
勤め人ともなれば嫌になろうとどうしようとなお振り回されたものだから、ちょっとした暇があると、
何やらぎこちない宇宙らしきところに行って小旗を翻してばかりいる小生意気な仕事の道具であり、
またえらく時間と平常心を食べたがるこの厄介な存在を、疎ましく思っていました。

だから、ここのところは必要を感じていても、できれば私は持ちたくはなく、
間に合えば一家に1台あればよいのだとばかり、いつもするりと逃げていたのだけれども
とうとう、銀の薄くて滑らかな座布団に乗った、白いリンゴに御用つかまつることとなりました。
めでたくもwi-fiという見えない糸でできた世界規模の大きさを持つ網にとらえられ、
脱サラ以来、じつに6年ぶりにお縄となった訳です。
メロン屋の女将に装いを変えようとも、大いなる時間の流れの前には無意味です。

幸い、わが旦那が愛用しているのはマッキントッシュであったもので、少しはビジネス臭さがないものの
なぜに思い入れたくもない仕事道具が、気取っていなくてはならぬものかと
激務の残したトラウマの根深さを、旦那のキーボードやマウスの扱いに叩き付けるものだから
旦那はよく、私がパソコンの前に座るのもいやがっていました。

だもので、いったん離れてしまえばいい気なもの。
ちょっとした雑事の合間に覗くお気に入りのページをいくつか見たら、
天気予報もニュースも、旦那の読み上げる内容で事足りていました。
特に最近は、アップデートやらバージョンアップやら、ソフトのバリエーションと展開の早さが加速していて、
常に管理していないとあっという間に使えなくなる、というこの世界が、蟻地獄のようにもみえてきました。

そうはいっても、実に数多くのお客様とのやりとりをしたり、
パソコンを使ってすみずみまで自分の納得のいきとどいた独自の世界を構築し、
そこに浸るのが大好きなuydaとの暮らしの只中にあって、バックアップの必要からも
なかなか、そうは問屋がおろさないところまで来てしまったようです。

さて、窓の外は今夜もひしひしと冷えています。
朝になれば日差しで霜が解けて、トタンの屋根からずいぶんと沢山のしずくが滴り落ちるものだから
朝もやの濃さに惑わされて、今日は雨かと勘違いします。
本当のところは、そんなきつい霜がおりると、日中は暖かい小春日和です。
気持ちよく空の広さを感じ、浸ることができます。外仕事には心からありがたい陽気です。

雨の日に伺った三笠のりんごのおばちゃんは、今年はリンゴがなかなか赤くならなくて、
収穫が滞っていると話していました。
しかし、それでも穫れたての早生のリンゴは、小降りで可愛くて酸味がしっかりしていて、
本当においしいです。朝の一粒で、すっきりと心が洗われるよう。大事に頂いています。

これから冷たさを増す風に、裏山の唐松が色濃い黄金色の葉を落としてしまったら、
ここ富良野は、このディスプレイの裏側で輝いているリンゴと同じくらい、真っ白な世界になります。
そうしたら、私はスキーを手に山に向かうのです。
昨年、偶然手にしたそのスキー板には、ソールにでかでかとリンゴのイラストが入っています。

そして私を捕らえた白いりんご、生みの親が残した御言葉があります。

“stay hungry, stay foolish” (貪欲であれ、馬鹿であれ)

故スティーヴ・ジョブスが残したこの一言は、私共のこころに吹く、心地よい追い風です。

今まさに私の手元にある、この銀のケースを通して覗く世界にも、その外側にも、
リアリティを解く鍵はそこここに満ちています。
せっかくのことですので、おとなしく、どちらの世界も、一口ずつじっくりと味わっていきたいものです。
posted by momouyda | 21:33 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
晴れ間を惜しんで
小春日和も、もう今年は最後かもしれないというところにきて、急にスイカのハウスを建て替える事になりました。
今のハウスをいったん抜いて、ほかにストックしてある鉄パイプを全部寄り合わせて
ハウス全体の長さを倍にします。
パイプはいろいろなところから寄せ集めてきたものなので、長さも、曲がり具合も、似ているようでいながらまちまちです。
それらを切ったり、曲げ方を直したりして、どうにか使ってみようというもので
昨日から私は鍛冶屋さんに、uydaは土木工事に勤しんでいます。

百姓、すなわち百の仕事をこなす人々。すなわちマルチタレントそのままです。
サラリーマンの娘である私は、小さい頃、父が運転する車に乗っていると
出会い頭に路地から急に出てきた車に向かい、父は決まって「百姓!」と罵っていたものです。
ところがなんと数十年後は、その娘がかろうじて百姓にさせて頂いている次第です。
娘本人にとっては予想外の展開でしたが、当の父は、まんざらでもない様子です。

余談はさておき、じつはこの秋は、メロンのハウスをあと2棟建てるつもりでいたのですが
見積もりを取ってみて飛び上がり、諦めました。
震災の影響で、鉄パイプの値段が高騰しています。
3年ほど前、北京五輪のときもぐんと高くなりましたが、今回の値上がり具合はその比でなく
じつに5年前の値段のほぼ倍です。
あわせて、ビニールの値段も年々上がっていますので、
ビニールハウスでつくられる野菜のバリエーションが、もしかすると今後少なくなっていくのかも知れません。
被災地から遠いようでいて、同じ国の住人ですから、誰もが震災の当事者であると私は思っています。

まさに、生き残るのにはどう働いて行ったらよいのかが、問われているようです。
求めてみたい答えはあれこれと浮かぶものの、辿れる道はひとつですので
時間をかけて、じっくりと進んでゆきます。

さて、秋晴れがあまりにも気持ちよくて、杭を埋める穴を掘っていても
スコップを持つ手に力がはいりません。
だらだらと夕暮れのなか杭を埋めていると、夕映えに雪虫がたくさん舞っていました。
どさんこ犬が、散歩を待ちきれないよ、と迎えにくるので、
連れ立って山の方に歩いてゆくと、暮れ方の逆光に紅葉が透けて、いちばん深い秋の色を見せてくれました。
犬も、金色の輪郭だけになっています。
谷のほうから「きゃーーーーん」と響く鹿の声がして、どうにもこうにもいまが秋です。

帰り道はあっという間に暗くなり、トラクターのヘッドライトが、富良野盆地の隅から隅まで、点々と輝いています。
どれも街の明かりより、一番星よりずっと明るくて、力強いです。
かつて中島みゆきが謳っていた「地上の星」とは、これのことだったのかも知れません。
残念ながら、我が家のトラクターは小さ過ぎて、この中には混じっていませんが
いつか、この宵の光景を美しい写真に納めてくれる方が、きっといらっしゃると思います。

加えて、10月中旬のこの時期から11月中旬にかけての秋の景色も、私は大好きなのです。
美瑛に長くお住まいの先輩も、この時期の景色がいちばん好きだとおっしゃいます。
天気が安定しにくいのと、寒さ暖かさの落差があるのとで、運に左右されやすいのですが
道は空いているし、道路凍結の心配もさほどなく、北海道の良さをじっくり楽しむ旅行には
とても良い時期ではないでしょうか。
何かを鑑賞したり、学んだり、じっくりと風景をみながら心の行き届いた食事を楽しんだり、
街独特の詰め込まれた時間の密度をはなれて、何時間も、あるいは何日も思い切った長居をするのに、
富良野の景色はきっと似つかわしいのではないかと感じます。

この静かさと時間のまとまりの意味を良く知っている方々が、富良野には沢山おられます。
地元の農家の奥様や、おばあちゃんに、手仕事の得意な方がたくさんおられますし
若くても細かな手仕事の得意な友人がいて、先日はその工房と、アロママッサージのサロンを開設した
ささやかなお祝いをしてきました。

このような技とセンスを持った若い人々が、農業ヘルパーから移住者のなかに沢山おられます。
それは夏に行われる、クリエイターズマーケットの賑わいに象徴されますけれども
当然ながら、農業や、アウトドア産業に関係する方々は、参加することも観に行く事もままなりません。
もっと、こういった方々が大切にされ、活動しやすくなることを願っております。

さて、こうして秋は更けてきました。
明日、ハウスの立て替え作業に区切りがついたら、一気に豆刈りです。
木枯らしで豆の木は随分と乾きましたので、今年は脱穀が随分と楽になりそうです。
そして雪が降ると、それはそれで薪を運んだり、ストーブの世話をしたり、
まとまった雪が降れば除雪したり、大きな機械や設備のない我が家は、生活そのものが忙しくなります。
冬が来る、そう思うとどこか気が引き締まる心地です。

貧乏暇無し。しかし楽しく美しいのが、田舎の醍醐味です。
posted by momouyda | 20:28 | 農作業 | comments(0) | trackbacks(0) |
秋深し
親知らずの外側、上あごの一番奥の当たりに、穴があいているのに気が付きました。
木枯らしの寂しさにあいまって、心の真ん中にぽっかりと穴があくのはこんなときです。

あわてていつもの陽気な歯医者さんに予約を入れ、待つ事2週間。
ようやく腹を決めて治療台にあがったと思ったら、その部分の治療はあっといういう間に終わってしまって
かわりに、その2本前の歯に虫歯があると聞きました。こちらは、治療にしばらくかかりそうです。
親知らずの虫歯といえば、即抜かれてしまうのかと思いきや、削れば済む程度で治まり嬉しかったものの
「こんなに奇麗に生えている親知らずを、ひさびさに見た」
という不思議な褒められ方をして、喜んでよいものかどうなのかどうなのかよく解らない気分でいます。

ちなみに下あごの親知らずは、両方とも真横を向いたまま、あごの骨のなかにうずまっているのです。
自分の持ち物であるはずの肉体の一部が、そんな普段は想像もつかないような様相をしている
ということを映し出している傍らのレントゲン写真は見事で、まるで気象衛星からみた世界地図のよう。
意外なくらいに長い歯の根っこや、その形や配列が面白くて、
子供のように治療台から乗り出してじっと覗き込んでしまいました。

ともあれひとまずは、奥歯の片方を失くした場合の心地と、麻生元首相の顔のイメージが代わるがわる浮かんでくる、
という奇天烈な妄想状態を回避できたことにほっとしながら、
こうして3年振りに歯医者さんのお世話になっています。

うっかり穴をあけてしまった歯だけではなくて、この時期は、作業用の道具や農地のメンテナンスをしています。
果樹畑や、土手の草刈りを済ませ、私はメロンの下に敷くお皿を洗い、
uydaは管理機の整備やスイカ用のビニルハウスを手直ししたりと、夏の間に溜まりに溜まったこまごまとした仕事を
すこしずつ消化しています。

そんな我が家はどこまでもマイペースなものだから、夜には山から鹿がおりてきて、収穫間近な豆を喰われてしまいました。
たくさん喰われないうちに、はやく豆を刈ってしまいたいものですが、ここはぐっと我慢です。
明朝はとうとう1℃まで冷え込むというので、このきりっとした寒さで、葉っぱがはやく落ちてくれるのではないかと期待しています。
豆の葉っぱが落ちれば、収穫以降の作業がより速く、楽になるからです。
これもまた、春先に豆の種を畑にまくタイミングが悪くて発芽がきわめて悪かった事や、
そのあと再び豆を育苗して、1本ずつ植え直したせいで時期が遅れている、という事情があります。

メロンもさることながら、大豆のほうもとてもご好評を頂きましたので
今年もきっと皆様にお届けしたいものです。すでに熱烈にご所望の方もいらっしゃいます。
作物が穫れるということはさることながら、それを売る形に整える、
という作業もまた、試行錯誤が欠かせません。
なにしろ小規模経営ですから、作物が商品という形になり、お客様の手に渡るまで、何もかもが未完成なのです。
まだ2年目ですので、昨年とはまた違った仕上がりになるかとは思いますが
晴れて形になりましたら、お付き合いの程よろしくお願い致します。

それでも暖かな小春日和は優しくて、この時期の澄んだ空気は、体ぜんたいにとっての何よりのごちそうです。
庭の水松には、赤い実がそれはたくさん成り、早くもクリスマスツリーのように可憐です。
そう大きくない水松の木の下でメロンのお皿を洗っていると、ドクダミの葉っぱの蔭から覗く、黒い眼が合いました。
ちょろりと姿を現したのは、親指くらいの白いねずみです。
暖かい昼のうちに、忙しく食べ物を集めて回っているのでしょう。

街中の野菜の直売所では根っこものが目立ち、緑のものといえば南瓜と長ネギくらいになっています。
あらゆる生き物が食べ物を蓄え、住むところを整える時期に差し掛かっています。
雪国の冬。
逆らいようのない、大いなる流れのなかで
もう間もなく、こまやかなる手仕事の季節が、静寂をたずさえてやってきます。
posted by momouyda | 20:38 | 雑記帳 | comments(2) | trackbacks(0) |
ちいさな日本
福岡市郊外にある、uydaの実家に郷帰りしてきました。
大きな溜池のほとりにあるこぢんまりした邸宅にお世話になり、
今回は脚を伸ばして義母のふるさとにも連れて行っていただきました。

九州の大分と四国の愛媛の間、豊後水道に面した津久見というその街は、
漁港からいきなり山の懐に入るまでの、小さなちいさな街でした。
義父の車はコンパクトな普通車だけれども、入り組んだ等高線どおりに曲がりくねった細い道では、
それでもぎりぎりいっぱいで、軽自動車以外でここを通るのは考えられないほどの道幅です。
騾馬や、牛で歩くのにはいいだろうとおもうけれども、やはりこの時代に時間と労力と風情の浪費は許されるわけもなく、
山と、おだやかな青い海と、瀬戸内の明るい陽射しに守られたこの街の優しい空気に、少しだけ寂しさを感じました。

その細いほそい道沿いに、長屋や、古井戸を囲んで大小のお屋敷がぎっちり経っているかと思えば
ぽっかり開いたところはみかんの畑になっていて、すぐ手に取れそうなところに、まだ半分青いみかんがたくさん付いています。
ふと目をやった道ばたの雨水溝には、ころころと青い「かぼす」が転がりこんでいるのがかわいらしい。

小高い半島のてっぺんにある展望台に連れて行って頂くと、豊後水道が一面の広がりになっていて、
関サバ、関アジが美味しいはずであることも、この穏やかで青い海をみれば説明無用というものです。
そのまま、ふすま絵にでもなりそうな眺めでした。

そして対岸の岬と、背後の山は、セメントや土木建築工事の原料となる原石の採掘場です。
遠い昔に海から押し上げられたミネラル分を、現代社会はどこまでも欲しているのか
乾いた切り出し斜面のあちこちでとおくクレーンやダンプが動く度に、きらきらと機体がきらめきます。

そして、海からの風も、いつだってみかんの樹も、街も、まるごと洗いつづけているのでしょう。

裏の山では、ミカンやかぼすが盛んに作られていたそうで
今も、津久見みかんは産地として名を馳せていますけれども、
なるほど、この穏やかな雰囲気のなかに実れば、おいしいに違いありません。
義母の送って下さるみかんが、どうして美味しいのかを、
こうしてはじめて感覚全体で味わう事が出来たようにおもいます。

しかりやはり日本全国、何処でも聞かれるように農家の後継ぎがいないとのことで、
このみかん畑が、次々に消えて行っているというのは、心から惜しい思いです。

そうした事を聞かせて下さったのは「かっはははははは!」と顔をみるなりすぐさま嬉しそうに、
ただただ笑いながら出迎えて下さった、85歳になる長老です。
なんと、顔色の良い方なのだろうと思いました。
そのご長老をはじめ、そのお屋敷に集った義母の兄弟姉妹の楽しそうなこと、お元気なこと。
宴席で、さまざまにアレンジされて食卓の一人芝居を演じていたのは、特産のマグロです。

胃袋、頬の肉といった珍しい部位までをいただきました。
これでお酒をたっぷり頂いたら、ますます美味であったろうと思います。
琉球丼、ひゅうが丼、と呼ばれるご飯は、胡麻だれで「づけ」にしたマグロの赤身が乗っています。
ほの甘いたれの味と、浅葱の香りが優しくて、美味でした。

集られた皆様の明るい雰囲気に助けられて、まだ子のない新米の嫁でありながら、
お腹いっぱいマグロづくしのごちそうを味わったものです。
長く育ったふるさとを持たない私は、どこにいってみようともいつも新入りなのだけれども
さすがにアラフォーともなると、ふてぶてしくなっています。

気候の穏やかさと、山懐に囲われた漁港という小さな別世界に、
昔からある、ほんとうの日本の姿をみる気がしました。
posted by momouyda | 22:38 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
くさい仲
台風が北上してきました。

ここまで来ると、雨脚は軽くなっているのでそうしつこく被害を出すようなことはなさそうですが
あちらこちらで稲刈り真っ最中なこともあり、農家はみな、何かしら気が気ではありません。
稲は、実ってくると五円玉の図案のとおり、おいしいお米粒の実った重い頭をもたげているので、強い風に弱いのです。
強風に当たって倒れてしまうと、地面からの湿気で水をふくみ、かびてしまうからです。

もう大した作物のない我が家でも、掛けっぱなしの育苗のビニールハウスが、歪んだり飛んで行ったりしないように
すこしは気を配っていなければなりません。
そして、畑の上の用水路の流れをみながら、流木や土砂が土管につまったりしていないか
詰まっていればどけられるか、嵐がくれば、かならず見張りが必要です。

9月の天気は、いつも気まぐれ。晴れた日と嵐とが、細切れにやってきます。
なかなか纏まった仕事は片付かないけれども、雨が降ったら片付けを休んで、ちょっとそこらの温泉へ。
細切れだけれども、そんなちょっとした時間も出来ることがあります。

昨日は、晴れていたけれども地域の地鎮祭でした。
出かけたuydaのいない間に、これはチャンスとばかり、私はじっくり腰を据えて
干してあったにんにくを畑に植え付けました。

にんにくの収穫は8月初めですが、そこから約40日間の乾燥を経て、
今が植え付け時期になります。
にんにくを1片づつ切り離して、ひとつづつ移植ごてで畑に挿してゆきます。
尖ったほうが上向きになるように、深さ3センチになるように手でちょっと押さえたら、
あとは11ヶ月という時が、にんにくを育ててくれるはず。

香り高きネギ類は、生長がゆっくりなので、これから来年の夏にかけてじっくりそだちます。
あまり手はかからないけれども、収穫前に伸びてきた花を刈るくらいのもので、美味しく豪華なにんにくになるのです。

ほかにも、ネギ科の数ある香味野菜のなかで、我が家はニラとチャイブを育てていますので
この時期の食卓は、この夏の時間と日照がいっぱい詰まった香りがします。

ニラは、とりわけゆっくり育ったもので、昨年春に種から育てはじめ、
いまやっと葉っぱが少し収穫できるようになりました。
小さな株ですが、いま可憐な白い花が咲いています。

チャイブもおなじく、昨年春にから育てたものです。
こちらは昨年も、今年の春も刈り取りができ、
紫色のかわいらしい花がたくさん咲きました。
暑い夏の間は元気を失っていましたが、今また元気な緑を取り戻して、
細くて華奢な葉っぱを秋空にツンツンと突き刺しています。
はさみで使う分だけを取ってきて刻み、コーンスープなど、汁物の仕上げの彩りになります。

さて、こうしていいことばかり書いていると、さぞかし豪勢なキッチンガーデンのようですが
実態は、まったくもってお恥ずかしい状況です。
メロンとスイカ以外は、あくまで本業外としていますので
盛夏に手入れの必要であった庭先の野菜は、じつにみすぼらしい出来ですし
初秋から冬にかけて仕込むべき野菜たち、すっかり手遅れです。
今からでは遅いことはじゅうじゅう感じつつも、草を摘んだり起こしたり、
できるところは畑に手を入れていこうと思います。
今年はこの部分がお留守でしたので、無念をしっかり味わった上で、これから少しずつ充実させたいものです。

こうして独立4年目の夏を経て、いろいろな仕事の内容や質、
uydaとのコンビネーションのとりかたが解ってきました。
至らぬ事の方がまだまだ勝っていますけれども、後退もしていないようです。

今日は嵐がくるまえに、メロンの畑に今年の余分な肥料を吸い上げてもらう燕麦と、
来作のエネルギー源となる見込みの大豆カスとを播きました。
そして、夕方には、小さなジャガイモをたくさん鍋で蒸し、少しつまみ食いしながら気長に皮を剥くと
チャイブをたっぷり入れたポテトサラダに仕立てました。
メインディッシュは、一人分に大振りのにんにく1片を贅沢に使ってポークチャップです。
夕方、ちょっと出歩く用事のあった私からuydaへ、好物のお返しのつもりです。

来年のメロンづくりへの備えは、すでに始まっています。
もう秋が深くて、とうとうストーブに火を入れるほど冷えるようにもなってきました。
収穫だけが農作業、というわけにはいかない、小さく細々とした我が家です。
posted by momouyda | 00:17 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
北国の真っ赤な秋
あちこちに洪水の爪痕をのこして台風が去って行ったら、uydaが風邪を引いてしまいました。
雨に当たって、冷えたのです。
さすがに体力気力ともに萎えているときだけあって、布団がぐっしょりになるほどの高熱ののち
ついには手と脚の裏と顔が発疹だらけになるという有様。

本人生まれて以来の大病とのことで病院にいってみれば、なんと「手足口病」との診断です。
あまりにストレートすぎる病名と、45歳にして幼児のかかる病気をはじめて味わうという
いかにもuydaらしい展開に、気の毒ながらもおかしくてなりませんでした。
赤や白のぶつぶつでパンパンに腫れ上がった脚の裏を冷やしてくれとうめく怪獣は、
氷嚢をおさえるレッグウオーマーを履かせるにも、口ゴムがあたった痛みで雄叫びをあげ
それはそれはうるそうございました。

まったく、子供ならばかわいいだろうものの、もともと水虫でごつごつごわごわしている脚は
ウイルスにやられっぱなしで、まったくみられたものではありません。
発病から1週間がたち、いまやっと、不気味なる白い膨れた発疹が引いて赤いものだけが残り、歩けるようになりました。
完治までには、まだ時間がかかりそうです。

ちょうど庭先では、ひっそりとテーブルビートが膨らんでいて
ろくに進まない仕事の合間に、太ったものをすこし抜いてきて、じっくり小一時間茹でてみました。
とにかく赤いです。
いったいどうして、この砂じみた素っ気ない地面から、こんな色がうまれるものなのか。
食べる輸血といわれるだけあって、ほんとうに煮汁が深く、濃い緋色になります。
すこし青にかたむいたこの赤さは、食べ物の既成概念から飛び出していて、
私だけでなくきっと梅干しも赤ワインもどぎまぎしてしまうことでしょう。

いつか異国の朝食で、おそるおそる一切れいただいた事があるだけで、
かれこれ16年振りくらいにその実物にふれることとなった私は
つるりと剥ける皮の感覚や、服に煮汁を飛ばさぬようにというスリルを存分に味わいました。

味は、というと、ほのかに甘みと渋みがあって、舌触りは蒸した里芋のような滑らかさです。
ほんの少しの塩と、オリーブオイルと酢を掛けてシンプルにいただいたのち
のこりはスープの具にしました。

スープはにんにくや、穫れたてのジャガイモ、タマネギ、トマトを弱火でじっくりソテーして
ローリエとともにいつもの野菜だしをそそいだのち、茹でたビートのぶつ切り加えて塩、胡椒を少々。
uydaには茹でたソーセージを添えて、我が家流のボルシチができました。北国の秋です。

ビートをスープにいれるとなにもかもが赤紫色になるので、
やはり視覚的に慣れないと、味覚が追いやられてしまうようで
ストレートにおいしさと結びつくまでには、繰り返しが必要かも知れません。

食べてみたくて、作ってみたくて料理した本人はまだしも
突然出されたuydaの心境を察するに、たまったものではないでしょう。
病気に効いたかどうか定かではありませんが、このみるからに栄養のありそうな様子に、
最初の一皿くらいは付き合ってくれました。

このテーブルビート、まだこの後も穫れそうですので、あらたな食べ方を模索したいと思います。
一家の台所をまかなう者は、家族にとってのお医者さんでもあるのだと、
中国北部、黒竜江省出身の女医さんは、薬膳レシピの本のなかでそう仰っています。
富良野もまた、黒竜江省とおなじくらいの緯度、大陸のような気候ですので
こんどはこちらからヒントをいただいてみようか、と思っています。

今得られる知恵にはじまり、やりたいこと、実践するきっかけは無限にあり
それを追いかけ身につける楽しさに、田舎暮らしの醍醐味があります。
私にとっては、リアルでスリリングな毎日です。
この尊い秋冬の時間が好きなので、じっくり味わいたいものです。
posted by momouyda | 00:56 | 雑記帳 | comments(3) | trackbacks(0) |
小さな願い
もうすぐ台風が来るので、急ピッチでビニルハウスを取り込んでいます。

昨年春の嵐で、ハウスはいとも簡単にふっ飛ぶのを見ているし、
ハウスのビニールを貼るときの、風との闘いを散々経験しているので
穏やかなる日々の有り難みを、少しは解っているつもりな私どもは、焦っています。

そうとなればさくさく仕事をすすめたいところですが、
どうにも収穫ですべてを出し切ってしまったuydaも私も、おもうように背中に力が入りません。
動きひとつづつが、ちゃかちゃかした貧乏暇無しそのものから、優雅なるスローライフに変換されています。
嬉しくもないことですけれども、それでもどうにか、なけなしの家財をまもらなくてはと思い
淡々と仕事をこなすこの頃です。

しかも、この作業をはじめたころから、台風に押されてきた気圧のいたずらで
富良野は真夏の暑さを取り戻しています。
ふ、とuydaの姿が見えなくなったとおもったら、スイカ畑で残り玉を割り、むしゃぶりついていました。
一緒になって、割ったスイカの真ん中を食べるのが、いちばんよし。
木についていた時よりは劣りますけれども、昼下がりまでなら
意外と実の中はひんやりとしていて美味しいです。

スイカの成りが良かった今年は、スイカ農家さんが潤ったとのことで、産地は少し明るいです。
しかしながら、春が遅かったのと、夏のちょっとした雨風がもたらすタイミングのせいで
早い時期に穫れたタマネギは、玉が肥る前に強い風が吹いて、
葉っぱの根元がぽきんと倒れてしまい、そのせいで葉っぱが枯れてしまったそうです。
その結果、小さなタマネギが沢山できたようです。

かわいらしいタマネギ、本当ならばきっと少人数のご家庭や、ちょっと凝った料理の好きな方には
重宝されるに違いありません。
ちなみに少人数の家庭、つまり一人ないしは2人の家庭という家族構成は、
今や全体の3/4を占めているのだそうです。

そして我が家も、犬はカウントされないでしょうから、その中に入っています。
したがって、タマネギは寸胴鍋にいつもストックしてあるゆで野菜とその煮汁をつくるのに
欠かせない食材です。小さければ、丸のままで使えて重宝します。
ほかにも、スライスしてサラダに加えれば、ひと玉が一回分となり、そのとき使わない部分の保存の手間が省けます。
もしも時間の余裕ができたなら、瓶詰めのピクルスも作ってみたいのです。

ところが、お商売の話となるとまったく世界は違っていて、
農産物は何でもLサイズが標準です。
聞けば、男性の服もLサイズに標準がおかれているとか。

その部分に一番の値打ちを付けて、そのサイズへの標準化をよしとすることで
時間的、労力的に節約を図るということなのでしょう。
一度に、大量に物を動かし、世に送り出すには、欠かせない要件だと思います。
しかしながら、農家さんから引き取られて行く価格は、特にMサイズよりちいさいと
びっくりするくらい落差を持ったお値段になってしまうとききました。

私共もメロンやすいかと引き換えに、こうした小振りのタマネギをわけていただいたのですが
なんだか、嘆きを味わうようで、もうしわけない心地です。
私はもちろんですが、もっと、こうしたタマネギを求めていらっしゃる方々は
ほかにものすごく沢山いるのではないかと感じるのです。

せめてこれから収穫を迎えるタマネギに、葉っぱが倒れてしまうような強い風や
肥った玉が傷んでしまうような水浸し、といったような被害が
できることならおよばないようにと願っています。
なにしろ、我が家のある鳥沼地区は、メロンやスイカ農家は少数派で、
大半の農家さんがタマネギ畑だからです。
収穫が良ければ、地区全体が気分明るく、そして潤います。

さて、巨大な台風と、地区の神社奉納球技大会が同時にやって来そうです。
私が混ぜて頂いているチームは、いつもかならず最下位のお約束ですけれども
今年ももちろん勝てぬとも、昨年よりも明るい展開になれたらと思っています。
球技大会は神社のお祭りの余興ですので、勝ち負けよりも豊穣の神様を喜ばせてなんぼ。
ご近所のチームメイトな奥様各位、今年も少しながら笑いをもたらしたく思いますので
お付き合い下さいますよう、宜しくお願いいたします。
posted by momouyda | 07:10 | 雑記帳 | comments(0) | trackbacks(0) |
店じまい
ご無沙汰致しております。
お盆が過ぎ、帰省ラッシュが収まって来て、富良野は雨ばかり降っています。
これで、夏はおしまい。
富良野の短い暑さの日々は、メロンとともに去って行きます。

おかげさまで、今年のメロンは昨日で穫り終えてしまいました。
昨年は8月8日の立秋に、すべてのメロンを穫らざるを得なかったことを辛く思い起こすと
今年は最後のひとつぶまで、きちんと見おくりながら世に送り出す事が出来たことに
有り難く、また充実した思いです。

発送の際はできるかぎりの注意を払っておりますが、もしも長らくご注文の品をお待ちになっていたり、
お申し出になっていない手違い等ありましたら、
私共まで、すぐにご連絡下さいますようお願い申し上げます。
なお、請求書につきましては、お待たせしつつも順次お送り致しております。悪しからずご了承くださいませ。

TEL 090-9432-0480
e-mail sato@uyda.net

さて、巷では今なお増え続ける農家直販サイト、そしてフラノマルシェの実店舗におきましても
どう考えても異端児な我が家のメロンを選びいただき、
お買い上げ下さった皆様に心より御礼申し上げます。

そして、そのお客様の数の多さに、私共が驚いております。
お買い上げの背景には、それぞれお客様の数だけの道筋があっての事と思いますが
こんなにも、お客様から同調のエネルギーをいただけるとは思ってもおらず
ラジオでいうなら、ちょっとスピーカーがびりびり震えて音が割れそうなくらいです。
今後、すこしずつ私共の懐をひろげ、丈夫にしてゆきたいものです。
どうか、今後とも私共のメロンを、よい形でお目にかけられますようにと願っております。

それには、栽培技術を確かにすることや、作付けをもう少し増やす事にとどまらず
その売り方についても、工夫が必要です。
いまだ試みははじまったばかりなもので、私共の意欲に対して、経験がたりません。

さて、今年もやはり、発送にまつわる事務処理作業が芳しくありませんんでした。
そのどさくさの向こう、この机上には、発送したラベルの控えを挿して積み上げるスタンドをおいています。
みるみるうちに高さを増してきたこのラベルの束は、今や12cmくらいある串の8割強の高さになりました。
uydaがどうしても置きたいといって据えたものの、これを見て仕事の成果を感じ、
わたしも釣られて、こっそり心の励みにしておりました。

メロン達はあっという間に旅立ってしまうので、いったいどれほど世に出たのかという
実感がなく、
発送にふさわしいメロンがどっと穫れたときは、ただ日々収穫の勢いに押されるようにして、
どうにか物を送り出し、流れを作るだけで精一杯であったもので
ただ1つリアルに労働の成果が読めるのが、このラベルの束だったのです。
事務処理の合間に、根気を使い果たしそうになるところを、いつも救われました。
来年は、この要領の悪い発送作業を整理し、より正確で無理のない状態にしたいと考えております。

こうして、ご注文分の発送がほとんど終わったところで、
ギフトに漏れたメロン達にひとつひとつタグを付けてフラノマルシェに運び込み、バラ売りをしてみました。
それらはいつもなら、8kg入りの大きな箱に機械的に詰めて、市場買い取り価格で引き取られていくはずのものを、
急遽新たな手間と好奇心をかけてチャネルを作り、世におくり出してしてみようというものです。

上司は思いつきで物をいう。

決して上司とは思いたくもないuydaの思いつきにも、美味しいメロンにもおなじように鮮度があるので、乗り遅れてはいけないから、なにはともあれスピードが大事に思えます。
それができたのも、運良く今年のメロンの寿命が長くて、私共に時間の融通の利くところまで
保ってくれたからです。

売り場ではさまざまなお客様との会話を経て、ひとつひとつ手渡しをすることで
作り手とお店とお客様とのあいだに心地よい一体感が醸し出されることに、uydaともども、強く手応えをおぼえました。

こうしてフラノマルシェHogarに訪れて下さったお客様はもちろんのこと、
このような場を設けて戴き、新米の私共に機会を与えて下さった関係者の皆様に
こころより御礼申し上げます。
ありがとうございました。

そして、ひきつづきフラノマルシェ内フラノカフェにおきましては、
今しばらくメロンスムージーを味わうことができます。
機会のある方は、お早めに夏色の一杯をお召し上がり下さい。

このあたりの子供達は新学期が始まりました。
ひんやりした風が吹くようになり、富良野は、もう秋です。

posted by momouyda | 07:57 | 雑記帳 | comments(3) | trackbacks(0) |
ない便りのご報告
皆様 ご無沙汰致しております。
最近の富良野盆地は、タマネギをはじめたくさんの種類の野菜と、少しの人々や牛たちをたたえて
毎日毎日、鉄板でなくフライパンのように熱く炙られております。
そのなかを、色とりどりの観光バスが走り抜けて行きます。
朝晩がきちんと冷えるので、内地のように暖まりっぱなしではないのが良いところですが
観光にいらっしゃる方々のお声を聞いていますと、意外に陽射しの強さにお困りのようと聞きます。

さて、我が家は収穫のピークを迎えました。
ただいま6棟あるうちの2棟目のハウスのメロンをほぼ穫り終えて、
いよいよ本命のキングルビーに、そして一番状態の良い2,5kg前後の玉が主流になって来ました。
いよいよ、当WEBサイトへのご注文分を、順次発送しております。

それにあたって先月からフラノマルシェへの出店準備(とはいっても、おもにスライドショーの編集です)や、
運送会社のソフトのインストールなどで、我が家のキングピンであるMACはフル稼働です。

パソコンが一台しかないから、この幸せ者のMACは昭和50年代のダイヤルの付いたTVのごとく
uydaと私の取り合いにに遭っています。
しかも、伝票印刷のソフトはwindowsのみの対応ですから、macにwindowsをインストールして、
伝票に関わる業務のときだけ、再起動してMACからWINDOWSへ、終わったらその逆へ、
と2つのOSを行ったり来たりという、たいへんに使い勝手の素晴らしいIT環境です。
再起動の間、ずっとキーに触れていないといけないので、いつでも細かな家事の矢にさらされ、
30秒でも時間の惜しいメロン屋の女将には、なかなかに堪えるのです。

昨年までは、私のサラリーマン時代のパソコンが、年にひと月だけ伝票作成のためだけに
稼働してしていましたが、ほんのつい最近、運送会社のソフトがバージョンアップされたとたん、
チーターが乳牛に化けたようになり、業務用には使い物にならなくなってしまいました。

このご時世だけに、家電を増やしたくないという我が家の方針は、やや風当たりを弱められた感がありますが
来年こそは、お客様への対応ばかりか、このノーカルニュースの更新頻度にも関わる事態ですので
ノートパソコンの1台くらいは手にしたいものです。
ちなみに、なでしこjapanが世界の勝利を手にしたのを最後に、我が家のテレビはご隠居となりました。
地デジ化まであと6日!とあまりに大き過ぎるテロップが出続けていたのにも関わらず
つねにサッカーボールはきちんとそのエリアをかわして映されていたカメラワークに、
こっそりと、しかしほとほと感謝の心地です。

さて、埃っぽい話題はこの辺にして、フラノマルシェへ向かいます。
おかげさまで、野菜直売所HOGAR(オガール)内の我が棚、中身の回転はまずまず好調です。
また、お客様からお店のなかのほかの商品を選ぶのにお手伝いを頼まれることもあり、
メロンの陳列のあいまに楽しくお相手させて頂いております。

また、お向かいのカフェコーナーSABOR(サボール)では、開業から親しくさせて頂いている
フラノカフェのお二人が、我が家のメロンをふんだんに使ったスムージーを出して下さっています。
ほぼカップ満杯のキンキンに冷えたメロンと、少しの富良野産牛乳をシェイクしてあるので、メロンの風味が存分にいきていて、とても美味しかったです。
すぐ横で売っているパンと合わせて、軽いお昼ご飯や、小腹の補給に、
この夏はコーヒーもいいですが、メロンのみずみずしさをお伴にされるのも、如何でしょうか。
まる1個のメロンを買うのにはなかなかの気合いときっかけが必要ですが、
このスムージーは、お手頃な1杯で、メロンの味わいを十分に満たしてくれるのではないかと思いました。

なお、WEBサイトや、FAXによるご注文は、メニューがキングルビーの1玉および2玉入りのみとなりましたが
引き続きお受けいたしております。

皆様それぞれ、送り先へのストーリーを込めてご注文下さるので、出来る限りを尽くそうと働いている次第です。
おおよそお盆までの出荷となりますが、この時期を確実にこなし
お客さまのご期待にお応えしたいと考えています。

どうぞよろしくお願い致します。

posted by momouyda | 00:49 | 雑記帳 | comments(2) | trackbacks(0) |
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